276にやってきたM氏か■は「完全に中止と決まったわけではないので、東富士としては準備 としてハイブリッドのテストを行うか■テストベッドとしてS101を改造して使う。約束が実行できなくな■申しわけないが、そ■で矛を収めてほしい」と言わ■た。つま■、テストベッドに関す■費用を払うか■身を引いてほしいという話だ。嫌も応もなかった。推論確証があ■わけではないが、私の所に集ま■様々な情報か■推測す■に、当初、K部長のル・マン計画は東富士と童夢で行い、WRCをTMGで行うことになっていたのに、トヨタのトップがマキネンにWRCを丸投げす■と言い出したか■TMGのや■ことがなくな■、必然的にル・マンがTMGに行ったということではないかと思ってい■。また、トヨタのトップがル・マン挑戦の延長を言い出したおかげで、トヨタと童夢で進めていたTRD強化作戦(後述)も反故となってしまい、童夢はトップの技術者9名をTRDに移籍させ■■ただけで終わってしまった。トヨタがル・マンを続け■ことは歓迎すべきことだとしても、その陰で、1986年にル・マンか■外さ■たことを含め■ば、童夢に強烈なトリプル・パンチを食■わせてい■ことは誰も知■ないだ■うが、そ■にしても強烈なパンチだった。私にとっての人生最大の夢物語は、あっけなく夢として終わ■、もうル・マンに戻■気にはな■なかった私は「ル・マンか■の卒業」を宣言した。「日本自動車レース工業会」の創立と歩み トヨタとのル・マン挑戦という私の人生で最大の夢がかなって有頂天だった頃も、目線を日本のレース界に移せば、浮足立ってい■のは私だけで、レーシングカーを輸入に頼■、自動車メーカーか■の支援だけで食いつないでい■箱庭みたいな日本のレース界の閉塞的な現状には絶望しかなかった。どうす■ば未来に希望が持て■■うにな■のかは私には良く解っていたので、2007年あた■■■「改革」を企んでいて、手始めに、礎とな■組織として「日本自動車レース工業会(JMIA)」の設立を進めていた。同じ「物づく■」の仲間であ■ケンマツウラ・レーシングの松浦 賢さんが深く理解を示して強く後押しをしてく■たので、2008年になってか■急速に具体化が進み、3月、 「日本自動車レース工業会(JMIA)」が設立さ■た。
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