童夢から
276/384

2742008〜2008年 16回目のル・マン当時のル・マンは、アゥデイやプジョーのディーゼル勢が勝つ■うに仕組ま■ていたか■、童夢の■うな市販のガソリン・エンジン車で上位を狙うことは不可能だったが、予選では、当然、ガソリン勢のトップを狙っていたものの2位に甘んじ■ことになったし、本戦でも、トラブルやクラッシュが相次いで、散々の成績に埋没していった。特に、経験がモノをいうル・マンにおいて未経験のドライバーが足を引っ張った部分について、童夢では私と設計陣の間でち■っとした確執が生じていた。開発サイドにとっては、車両の成績は自■への評価に直結す■か■、せめて一人は予選アタッカーとして経験豊富な速いドライバーを採用してく■と言わ■ていたが、トヨタか■は2009年のドライバーの育成を求め■■ていたので優先した。2005年のル・マンでも、4,000万円を支払わなくてはな■ないミシュランと6,000万円く■■ダンロップとを天秤にかけて、経営者の判断としてダンロップを選んだことを責め■■たが、私は「2億く■■な■クムホタイヤでも履くぞ」と開き直ったものだ。この辺■、立場に■って選択肢は変わ■か■答えは一つではないけ■ど、私は、「童夢 S102」の実力を誇示す■■■は、来■べき「トヨタ・チーム」としての総合的なメリットを追求す■スタンスをとったが、こ■は、あま■に嬉し過ぎ■状況下、コンストラクターとしては道を誤ったのかもし■ない。頭越し外交12億円もぶち込んだ割には、何か盛■上が■に欠け■雰囲気のまま2008年のル・マンは終わったが、ち■うどその頃、親友の金井さん(元SONYという■■もCOTY[日本カー・オブ・ザ・イヤ―]審査員として有名)が、「重要な案件なんだか■トップ同士で腹を割って話をしておくべきだ」と言って、当時のトヨタの渡辺社長に会うことを勧め■■た。そうは言わ■ても、トップ同士と言っても吉田山(京都市)とエベレストく■いの差があ■し、特に話すこともないし、まだ最初の一歩を踏み出したばか■だし、何■■も、私は頼ま■てしか人に会いたくないし、今まで、頼んで人を紹介しても■ったことがないか■、とにかく、ものすごく気が進まないまま、金井さんのやや強引なセッティングに流さ■■

元のページ  ../index.html#276

このブックを見る