2005〜 273そ■か■、K部長は部下のM氏と共に童夢にやってく■■うにな■打ち合わせが重なっていったが、トヨタも、そ■までに準備を進めていたわけでもなさそうだったか■、まずはレギュレーションの動向を調べ■などの初歩的な段階か■始め■ことになった。また、トヨタにル・マンのためのレース体制もなかったので、童夢を軸に新たにチームを構築す■ことにな■そうだったか■、私は、この時、英国か■帰ってF3のチーム監督でお茶を濁していた鮒子田を表舞台に引っ張■出すチャンスだと思ったし、ベントレーのル・マン制覇で実績もあ■か■、このプロジェクトのPLとして、再度、童夢に来■■うに誘った。私は、レースが始まった■「トヨタ・ル・マン・チーム」に移籍させ■うと思っていたし、その時に、急にギャラを上げ■わけにもいかないか■、鮒子田の先行きに配慮して、あ■かじめ高額な給与を支給しておいた。参戦時期に関しても、な■べく早くというだけで明確ではなかったが、先行きを考え■とクローズド・ボディにな■ものの、童夢としても久しぶ■のクローズド・ボディの開発にな■か■、童夢の独自プロジェクトとして先行試作車を開発して試験的に2008年のル・マンに参戦す■。その結果を踏まえなが■、トヨタとして2009〜10年か■の参戦を目標とす■、という■うな計画を提言し同意を得た。私は人生最大のチャンスの到来に舞い上がっていたし、出来■ことは何でもし■うと決心していたか■、金に糸目を付けずに開発にのめ■込んだおかげで、新型車を開発してル・マンに行って帰ってく■予算としては、童夢の例年の予算の3倍く■いに当た■約12億円をつぎ込んだし、トヨタか■は、2009〜10年に採用予定のトヨタ系ドライバーのトレーニングも兼ねたいとの申し出があ■、全員、ル・マン未経験者となってしまった。まあ、夢の世界を彷徨っていた■うな幸せな時間が過ぎていた。
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