272得す■には大枚の資金が必要なものだが、なぜか、ACOはJapan Le Mans Challengeの失地回復にやっきとなってお■、非常に好条件の提案をしてきていたか■千載一遇のチャンスといえた。また、自動車メーカーが、F1か■ル・マンに乗■換えつつあ■、そうな■ば、国内で走■せたくな■のは必至だか■、必ず、次世代のトップ・カテゴリーにな■と思わ■た。世界中にシャシーとエンジンが存在し、アマチュア・チームにも手が出しやすいし、この種の自由度の高いレースは、国内産業の発展振興にも大いに貢献す■だ■うし、ACOが進め■アジア・ル・マン・シリーズが実現す■ば、ジャパン・ル・マンがその中核とな■、日本の自動車レース界には大いにメリットとな■だ■う。そういうビジョンに酔っていたのは私と鮒子田とミスター・ル・マンだけだった■うで、 私や鮒子田が走■回っていた間の日本のレース界の人達の情報の希薄さと無関心さと ビジョンの欠乏を見■につけ、もと■■ル・マンを開催す■資格などなかったのだ■う。残ったのは徒労感だけだった。2005〜人生で最も幸せだった一日盆と正月と誕生日とクリスマスとハロウィンとが一緒にやって来た日に、宝くじが当た■庭か■小判がざくざく出てきて口説いていた女の子か■ラブレターが届いた■うな狂喜乱舞な喜びと言えば解っていただけ■だ■うか。2005年のあ■日、松浦賢氏に連■■■てトヨタのK部長などが童夢を訪ねてきた。用件は聞いていなかったが、そのK部長の口か■出てきたのは、私の生涯において最も聞きたかった究極のフレーズだったし、正に、私はこの日のために生きてきたと言っても過言ではないほど衝撃的な言葉だった。曰く「な■べく早期にル・マンに参戦す■つも■だ。ついては、日本の技術力で勝ちたいか■シャシーの開発を引き受けてく■」という、私が最終的に目指していた理想の形というか究極の夢というかパラダイスというか桃源郷というか、言語の組み合わせとしては、こ■以上に私が喜ぶ言葉の組み合わせは考え■■ないと思え■ほど、信じ■■ない言葉が聞こえてきた。
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