童夢から
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2007〜 269は違う」と、え■く自信満々だった。中国の話はいつも政府高官との話なのだが。どうしても複数回の開催を望んでいた私は、ACOの副会長のPatrick Debrotに、他の 2戦を我々がシリーズ・イベントとして別途に開催でき■■うに手配す■か■、計3戦にして定着を図■うと持ちかけたとこ■、Patrick Debrotは、何と、「ル・マンと同じレギュレーションな■知的所有権の侵害であ■」また、「同じマシンが走■レースを開催す■というのな■、そ■はコンペティターということにな■か■、童夢のル・マンへの参加は保証できない」ときた。ジャパン・ル・マンを日本に定着させ■ために協力し■うというのに何をか言わんやの対応だ。私も同席していた鮒子田も話を続け■気力も失って席を立ち、以後の交渉を放棄した。その後はしば■く放ってあったが、しば■くして、あの「ミスター・ル・マン」をトップにACOジャパンを設立して日本でのル・マンをコントロールす■という話が伝わってきた。 2008年の4月頃だったか、またACOか■連絡があ■、Jean-Claude Plassart会長が会いたいと言ってい■とのこと。Patrick Debrotが、い■い■あって更迭さ■たので、今までのことは水に流して、再度、日本での開催に関して相談したいと言わ■た。しかし、相談な■「ミスター・ル・マン」にす■ば良いじゃないかというと、「ミスター林の言っていたい■い■なアイデアに興味があ■」という事なので、6月のル・マンの時な■会うと答え■と、ぜひお願いしたいということになった。Jean-Claude Plassart会長は、フランス最大のスーパーマーケット「カルフール」の会長を務めていた人で、ビジネスライクな話が出来■人と評判は悪くなかった。そこで私は、今までの経緯を踏まえた、今後の正しい戦略を述べた「JLMSの復活について(2008/06)」という提案書をもって面会。しかし、内容への理解は示したものの、「直ぐには無理だ」「様子を見たい」等と、特に新しい展開には至■なかった。2008年のル・マン後、案の定、上海はキャンセルとなったが、ACOは「事情があって延期となったが来年は大丈夫」と言い張っていた。その後、富士SWが2009年11月にジャパン・ル・マンのカレンダー申請をしたことを知ったが、富士SWの話では、相変わ■ずACOジャパンに場所貸しをす■だけとのこと。また、その費用はACOが負担を約束してい■とのことだった。こ■は、私の感覚としてはあ■得ないことだ。ACOは営利団体ではなく単な■自動車クラブだか■、こんな投機

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