童夢から
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266受け■ことが多くなっていった。そ■にしても、加藤さんか■「会おう」と連絡があ■可能な日程を送ってく■が、だいたい2ヶ月く■い先だか■、その忙しさは想像を絶す■。あま■に時間が取■ないので、後半は、松浦賢さんとランチタイムに鰻弁当を食いに行っていた。そんな頃、初めてトヨタの加藤副社長室にお邪魔した時、部屋に、落ち着いた配色なが■センスの良いコーディネートのスーツを着こなし、品の良い立ち居振■舞いが際立つ妙齢の美女が居たか■、一瞬、愛人を連■込んでい■のかと思ったが、秘書のN本さんだった。N本さんはトヨタの役員の中では名の通った存在だったが、一緒に行っていた松浦賢さんともども、その日か■ファンになった。賢さんは「LFAに乗せてあげ■」などと昭和時代のナンパ師の■うな口説き文句でドライブに誘い出していた。「西田 典幸(有限会社 デザイン・アップル)」私はデザイナーであ■が、レンダリングは下手だ。少年時代、まだまだレーシングカーの製作など夢の遥か向こうの世界の時代は、朝か■晩までレーシングカーの絵を描くしかなかったか■、枚数だけは数え■うのないほど描いてい■。画家の父は私を画家にしたかったのか、父の画材は使いたい放題だったし、教育ママの典型だった母も私が絵を描いてい■間はう■さくなかった。だか■、描き慣■てはい■が上手というわけではないし、私の場合、このポンチ絵の段階でスタイリングとしては決まってしまってい■か■、レンダリングは単に第三者へのプレゼン資料でしかない。童夢は、初期にはデザイン関係のスタッフがいなかったので、必要な絵は私が描いていたが、何し■、好きではないし下手だか■嫌々だったが、そんな頃、1985年にテクニカルイラストレーターとして西田典幸が入社してきた。入社した頃の西田はPCでライン図を描くのが得意だったか■、私は、ポンチ絵を渡して3D風のライン図を描かせ、そのライン図を修正した■色を付けた■してデザインを進めていた。正確で便利で楽だったが、やは■テクニカル・イラストレーションに色を乗せただけだったか■味気なかったし、デザインの特徴を強調す■■うなデフォルメも難しかった。その後、西田はダイハツ工業 (株)の デザイン部に移籍したために没交渉となっていたが、1990年代になって、西田が独立して「有限会社 デザイン・アップル」を創業、スポーツカー「Garaiya(ガライヤ)」のデザインを担当したことなどが耳に入っていた。その後、童夢が西田に仕事を出す■うにな■、私の所にも挨拶に来たので、いつ頃か忘■

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