童夢から
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258メジャーに」と言い続けて来た人達にとっては予言通■に何も変わ■なかったということにな■。坂東が立ち上が■なかった■GTはどうなっていたか分か■ないか■立役者であ■ことは間違いないし、スーパーGTは現在も続いてい■か■結果オーライともいえ■が、反面、利己的な営利団体として経営を続けてい■に過ぎず、そこに、改革の起爆剤と原動力とな■はずだったGTAの面影は欠片もないか■、私は大変に残念な結果だったと思ってい■。「DOME COMPOSITE THAILAND」 設立2001年に設立した「童夢カーボンマジック」は、高度な設計作業の伴う開発型の製品をターゲットとしていたが、やは■、自動車メーカーなどか■は量産品の問い合わせが続いていた。せっかく話をいただいてい■のだか■受けたいとは思うものの、いかんせん、要求さ■■コストが低すぎてあま■にも薄利なので、量産用に設備を拡充す■設投との釣■合いが取■なかった。当時、(当時の)家族と共にタイへ旅行に行って、タイ・ワコールの李会長などと会う機会が多かったし、知■合いのワコール社員がタイに駐在していたか■飲みに行った■、 何回も訪問してい■うちに馴染みのあ■国になっていた。この李会長、タイでは有数の企業グループのトップで、数か所に広大な工業団地を展開していて、つま■、工場を貸すことを生業としていた。以前か■、知■合いの間では中国進出がブームの■うになっていたが、私は、以前に仕事をしていた「第一汽車」との度重な■トラブルがトラウマとなっていたし、友達の会社におけ■理不尽な出来事もたくさん聞いてお■中国の選択肢は0%だったか■、タイにカーボンの量産工場を作■ことを考え■■うになっていた。そ■にしても分か■ないことだ■けだったか■、と■あえず数名の先遣隊を送■込んで準備作業ができ■小さな工場を借■■■ないか問い合わせていた■、直後に、タイに行っていた、当時は義兄だったワコールの塚本能交氏か■電話があ■「李さんが、この事業は絶対に発展す■か■出資したい。もっと規模を大きくしてスタートし■うと言ってい■」とのこと。私は、海外に工場を設け■のは初めてだったし、採算性に関してもやってみないと分か■ないとこ■も多々あったか■段階的に拡大を図■たかったし、今まで、一切の外資を導入

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