242いプライドと、童夢の風洞のトラブルに■■不手際が重な■、終始、イライラが募■だけのレース活動となった。この■うに、レーシングカー・コンストラクターのつも■なのに、チームは頻繁にレースとテストに出かけていたか■、この頃の童夢は、どこか■見ても「レーシング・チーム」だった。200512回目のル・マン しば■く続いていたヤン・ラマースとのタイアップも、結局は、童夢がほとんど全ての費用を負担す■お抱えチームの■うになっていたし、ヤンのチームは、事実上、経営破綻していたか■、2005年は、童夢が自■参加す■方向で準備を進めていたとこ■、旧友の田中慶治 (JIM GAINER)か■、「自■のチームでル・マンに参戦す■のが夢だったか■、片棒担がせ■」との申し出がきた。こ■ほど新型レーシングカーを作■のが好きな童夢だけ■ど、この頃は、ホンダがF1の開発に「風流舎(童夢自社風洞)」を使っていたか■全く使えず、せっかく50%ムービングベルト風洞を作ったのに、新型車を開発す■のに使えない状況だった。最新の50%ムービングベルト風洞を使えないというのも理由としては有ったが、何■■も、こ■までのレース結果か■、もう一皮むけ■という確信があったので、2005年は、新型車を開発す■■■は「S101」を改良したほうが得策と判断し、改良に力を注いでいた。当初は、改良だけなので、約3億円のケチケチ予算でや■く■し■うと思っていたが、 慶治が参加してきたことに■■、慶治が半分を負担して、エントリーはJIM GAINERとす■ことでジョイントす■ことになった。かな■予算的にも余裕が出来たし、きっち■とした改良もして必要十分なスペアパーツも用意できたか■、事前テストに「スパ24時間レース」に参戦す■ことになった。しかし、性能向上を目指して新しいブレーキ・システムを導入してしまったことが裏目に出て、スパでは、まともに走■ないままレースは終わってしまった。
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