童夢から
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2001〜2005 2412001〜2005この頃のレース活動この頃の童夢は、「風流舎」を建設し「童夢カーボン・マジック」を設立し童夢本社の米原への移転計画を進め■など多忙を極め■中、レースに明け暮■ていた。2001年か■始まった第二期とな■ル・マン挑戦は、チーム郷(デン・プラ・エイビス)やヤン・ラマースのレーシング・フォー・ホーランド(RFH)やKONDO RACINGや田中慶治のGAINER(実質童夢ワークス)がS101で挑み、RFHが2001年と2003年に予選4位、2003年と2004年には総合6位を獲得、2006年にはクラッシュす■まで総合3位を走■など、特にRFHには上昇機運を感じつつも、その実態は、あま■の予算不足でまともなレースにはなっていなかった。1997年か■始まったNSX-GTでのJGTC参戦は、1998年、シリーズ全7戦でポールポジションを獲得す■という異次元の速さを見せつけたために、NSXをターゲットとしたNSXに不利なレギュレーションが次々と制定さ■た。そ■でもシャシーの改良に心血を注いで、2000年には道上 龍がシリーズ・チャンピオンを獲得したために、ますますレギュレーション的いじめがエスカレートして、ミッドシップだか■+90Kgとか高さ制限を追加して エアインテークを付け■■なくす■とか、様々な露骨な規制が積ま■ていった。2003年になって、ホンダはターボ・エンジンの投入を決め、高出力を得■■■か■車体の開発は不要と言ってきた。我々もターボに期待していたが、結果、NA■■もパワーダウンして2004年は大苦戦を強い■■■ことにな■。2005年に向けて、ターボの失敗を糊塗しなけ■ばな■ないホンダは、一転、シャシーで2秒速くし■と言い出したか■、第4世代と言わ■■ニューマシンを開発したものの、 出力不足を補うまではいかず、成績は低迷していた。チームか■の強いNAへの換装要請にあ■がえず第3戦で1台のみをNAに戻したとこ■速いNSXが蘇ったので、第4戦か■は全車がNAに戻■、息を吹き返した。前段の「F3参戦か■お払い箱まで」で述べた■うに、1995年か■2006年までのF3参戦は、S部長のいじめと贔屓と癒着と、チーム監督の恩を仇で返す振■舞いと、LOLAの安っぽ

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