童夢から
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236こういう場合は任せて安心なので、その後は、奥が取■仕切って大幅な改造を進めた。奥に■■ば、もともとの空力に関す■考え方がおかしいということで、改造という■■は、カウルについては、ほぼ作■直しとなってい■。シェイクダウン・テストで大幅な性能向上が実証さ■、トヨタTS020を上回■322Km/hの最高速を記録したものだか■盛■上が■、その後、郷さんとのジョイント・ベンチャーとして「日本製マシンと日本のチームに■■ル・マン制覇」と「世界のマーケットに向けて販売」を目指すことになった。2001「S101」と2001年のル・マン2000年のBMW・LMPの改造の成功か■、チーム郷の郷さんと、「日本のレーシングカーと日本のチームに■■ル・マン制覇」を目標として、童夢が開発費を負担し、チーム郷が完成車を2台購入してル・マンに参戦す■というJVがスタートした。設計開発か■2台の製作まで5.5億円く■いの予算規模だったが、2台は郷さんに買っても■え■ので童夢の負担は約4億円という予定だった。当時、 ル・マンだけのLMP900クラスに加えて、コストキャップのあ■廉価版SR1クラスが存在し、FIAはSR1のためにFIAスポーツカー選手権を開催していた。我々の目的の一つであ■「市販」を目指すとす■ばシリーズ戦の用意さ■てい■SR1とな■が、ル・マンを考え■と性能的に劣■SR1は避けたい。郷さんとい■い■話し合った結果、改造す■ことに■■限■なくLMP900に近づくSR1という設定になったが、近づくだけで同等にな■というわけではなかった。やや中途半端なコンセプトなが■、2001年に「童夢S101」が完成す■が、運悪く、チーム 郷側のやむなき事情に■■ル・マン参戦が難しくな■。出足をくじか■てしまったが、 郷さんは童夢に迷惑はかけ■■ないとS101を購入してく■た上で、デンマークの「デン・ブラ・エイビス」というチームに貸与してFIAスポーツカー・選手権とル・マンに参加す■■うに手配してく■た。ただ、強豪チームというわけではなかったし、童夢としても、せっかく開発したS101をトップクラスのレーシングカーとして熟成させたかったので、何とか自■のチームを立ち上げ

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