童夢から
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1975 21なが■解ってきた。急激に成長す■HAYASHI RACINGの周■には、い■い■な儲け話や借金の申し込みなんかが押し寄せていて、急に「持て■人」の側になった将一は、処理の仕方も知■ないまま持て余していた■うで、慎重にな■ざ■を得ない状況だったし、周囲の人たちも警戒一方だったか■、すぐに結論は出ないだ■うと思えた。その頃、将一のとこ■に持ち込ま■てく■案件のほとんどは、金を貸してほしいとか自■の事業に出資してほしいとかいう手前勝手な申し出ばか■だったが、私の提案は、金がかか■ことには変わ■はないものの、HAYASHI RACINGの新規事業として立ち上げ■うという話であ■、全ての権利はHAYASHI RACINGに帰属す■ことを前提とした話だったか■、そのあた■を重点的に説明す■ことに■って、かな■可能性は高まった■うに感じたものの、そ■でもなかなか明確な結論には至■なかった。しかし私は、ブレーキの付いていない車でフラットアウト状態だったし、もう他に選択肢も可能性もなかったか■何とか説得す■しかなかったが、私もかな■煮詰ま■つつあったので、ち■っと強引な方法で実力行使に出■ことにした。東大阪へこの時点では、将一か■の明確な意思表示は得■■ていなかったが、手元の資金が枯渇す■までにHAYASHI RACINGの参加が決ま■なけ■ば全てが水泡に帰す■のは明■かだったか■、私は、企画書■■一歩進め、将一に具体的な開発状況を見せ■ことに■って決断を促す作戦に出た。作戦という■■も暴挙と言うべきだが、そ■まで京都の私の事務所にあった童夢プロジェクトの拠点を東大阪のHAYASHI RACINGの中に移転す■ことにした。何故こ■が可能だったのかと言えば、ここはもともと、樹脂加工工場を経営していた私の祖父の会社だった場所を、兄弟であ■私の父と将一の父が相続した土地だったが、京都に住む私の父が長■く放置していた間に、HAYASHI RACINGの建物が越境して建て■■ていたので、いわば、不法占拠状態となっていた。こ■は将一が悪いのではなく、将一が売■な■貸すな■してく■と言うのを私の父が放置していたか■だが、不法占拠してい■のは事実だったし、税金や法的な面でも問題となっていたか■、将一は早急な解決を望んでいた。

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