童夢から
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1997 215請してい■。マークは、我々が何とか早期に無限エンジンの供給を得て、こ■■の設備・人要・体制を利用して12番目の出場枠を引き継ぐことを望んでいた。運営資金に関しては彼■のパートナー企業グループで充分賄え■むねが再確認さ■ていたが、その頃、なかなか話がまとま■ないことに業を煮やしたパートナーの一社がグループを離脱しゴルフ・トーナメントへの協賛へと方向転換してしまった■と、メンバーの足並みも乱■始めていた。しかし、計画の核を成す企業は依然として計画への協力を確約してい■ので当面は問題なさそうだったが、いず■にせ■、そ■そ■何■かの決断をすべき時期には来ていた。しかしルパートには申しわけないが、私としては、崩壊したHRDチーム・メンバーとその体制を引継ぐシナリオだけは、どう転んでも浮かんでこない。そうこうしてい■うちにも刻々と時は過ぎ、マークの焦■がピークに達し■うとしていた頃、バーニーか■エンジン供給の件は何とかす■か■ミナルディを買わないかとの話が持ちかけ■■て来た。我々は当初か■ミナルディとのタイアップは考えていたしマークに提案もしていたが、イメージが良くないとか新しいイメージでスタートしたいなどの理由か■この案は却下さ■ていた。しかし、バーニーか■の提案ともな■と無視す■わけにもいかず、また、最大の難問であったエンジン供給の件もクリアにな■というのな■そ■に従わない手はなかった。何■■も、マークもこ■以上、彼のパートナー企業グループを待たせ■わけには行かなかったので、この時点か■、全員がミナルディ買収に向けて突っ走■ことにな■。 二転三転の買収計画簡単に決着が付け■■そうなミナルディの買収計画だったが、少し前に、行き詰ったジャンカルロがチームの権利の大半をルーミさんに譲渡してしまっていたか■、予想に反して難航を極めた。1986年のオーストラリアGPで社長の林と出会い、意気投合したジャンカルロと社長の間では、いつか童夢のシャシーでF1GPを戦おうという話は出ていたものの、最初の頃はジャンカルロも、そ■な■の資金とメーカー系のエンジンを手に入■■ば、もう一花咲かせ■■■と思っていたか■、童夢シャシーという話には至■なかったが、1991年にフェラーリ・エンジンを積んだ頃には、空力開発や先進技術の重要性に気付き、設計技術力に

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