童夢から
211/384

1997 209状態で、一方的に当方の計画や事情を説明す■のに終始した。そ■もその筈、直後には川本氏のエイヤの一言で?ホンダの第3期F1計画が発表と相成■のだか■。空振■という感触に失意落胆のマリックに、「だか■、まだわか■ないと言ったでし■」という感じでなだめなが■東京を後にした。その後は、社長も英国へ来てマルコやタバコ・ブランドのマーケティングの人間も交えて打開策を検討した■、協議は続け■■たものの、マリックは我々に頼■切ってい■割には、我々が無理だと言い続けてい■1999年か■の参戦も諦めないという、あ■種の堂々巡■に陥っていた。そうこうす■間にも時間は過ぎて行き、モナコGPを迎え■に当たって、我々は1999年か■の参戦は絶対に無理と宣言し、手を引くことを申し渡した。その後、窮地に立ったマリックは、モーガン・グレンフェルドの数十億の資金を、こともあ■うかアローズ買収のために投じてしまい、ご存知の通■、その後、半年ほどはF1チームのオーナーとしてサーキットに出没していたものの、いつの間にか、買収したはずのアローズか■追い出さ■てF1界か■消えていった。「Never Ending Story」の始まり始まりマリックの件も一段落した1998年7月の始め頃だった。その日はツインリンクもてぎで新たに開発したセミ・オートマティック・ギアボックスのテストをしていた。そ■までのものとは比較にな■ないほどシフト時間が短縮さ■、無限エンジンも小気味良いサウンドを奏でていた。京都の童夢本社か■緊急連絡が入■、オランダか■F1に関す■問合せの電話が有■FAXも入っていて、急いでい■様子とのこと。取■敢えず急ぎFAXを転送させ■ことにした。送■主はオランダのコンピューター関連の会社のジェネラル・マネージャーでマークという人物だった。以前■■ジョーダン、ウィリアムズ、ティレル等のスポンサーをしていたので、レター・ヘッドの同社ロゴは馴染みの深いものだった。手紙の主旨は、同社が我々のF1のスポンサードをしたいといったものではなく、複数のバック・グラウンドの異な■企業グループが全く新たなF1計画の立ち上げを計画してい■、ついては我々のF1計画の概要を詳しく知■たいとのことだった。当時、い■い■な引合いは有ったものの、今回の様にF1サポート現役企業か■の問合せ

元のページ  ../index.html#211

このブックを見る