童夢から
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208にも旬があ■ので、スタートのタイミングとしては悪くないのだが、英国で基地を作■なが■、車も作って人も集めて、すぐにレースというのは如何にも辛い。 夜は社長との会食のために祇園に向かうが、ち■うど、その日は京都の花街では「おばけ」というイベントで盛■上がっていて、例年、席を設けてい■社長はお茶屋のお座敷で待っていた。「おばけ」は何かに化けた芸妓や舞妓が入■替わ■立ち替わ■踊■に来■節分の行事だが、そこが社長の自宅だと思っていたマリックは目を丸くしていたものだが、帰国後に「林氏は貴族だった」と言っていた■しい。次の日、我々とマリックは東京へと向かった。もち■ん無限とエンジン供給の可能性についての打診をす■ためだ。しかし、ホンダと無限の状況を熟知してい■我々にとっては、こ■はマリックに対す■セレモニーの■うな側面が強い。 無限の本田社長との話し合いは基本的には前向きなものだった。ホンダが自動車メーカーとして即時の結果を求めてワークス参戦す■ことと同時に、もう一方で、日本のモータースポーツ産業の発展やドライバーや若いエンジニアの育成など日本の将来を見据えて、別の目的意識を持ったF1プロジェクトを考えてく■■な■ば、マリックのアフリカへの思い入■と共に一緒に闘うことは出来■かもし■ないね、という■うな話をしてく■た。とにかく自分達の手で一つ一つ積み上げなが■、20位か■15位へ、15位か■10位へ、そしてトップ6へと段階を経てF1GPを闘い、その世界の一員として皆に認め■■■■うなF1挑戦にす■べきと我々は常々考えていた。「た■■ば」を言っても仕方がないが、BAR、 BAR&ジョーダン、そしてまたBARとダッチ・ロールを続け■ホンダを見■につけ、結果論でしかないものの、この頃、何■かの形で我々にチャンスをいただけなかったものかと残念で仕方ない。いず■にしても、その時、本田社長が24億円でエンジン供給しまし■うとか言え■■うな状況でもなく、全てはホンダの意向・計画が取■まとま■まで待つ以外に方策がないことを、マリック本人に感じ取っても■うしかなかった。次はホンダだが、何にせ■このドデカイ王子様を連■てホンダ本社へ出没す■わけにも行かないので、外人が多く出入■す■赤坂のホテルに、仲の良いホンダの関係者に来ても■った。当然、何を相談出来■わけでもなく、応対してく■た方も何時になく何も言わない金縛■

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