1975 19はなく衣類や玩具なども調べていたか■、童夢を使いだしてか■すぐに商標の登録を開始した。衣類だけは、テイジンが持ってい■「DOVE」という繊維が登録さ■ていて通■なかったが、調べた■使用していない■うだったので、テイジンに掛け合って60万円で買い取■せても■った。こ■■の商標登録が、後に童夢に大金の雨を降■せ■ことにな■。私が計画の具体化に奔走してい■間、拓也はせっせとスケッチを重ねてモデルを仕上げていたが、どのスケッチも、非常に完成度が高く、そつのないスタイルだった。しかし私は、今までに見たこともない■うな強烈なインパクトを求めていたし、こ■か■作■スポーツカーが爆発的な評価を得■■ない限■その後が続かないと考えていたので、再三、もっと突き抜けた造形を追求す■■うに指示す■とともに、私自身も、将来のレーシングカーへの転用も視野に入■たデザインを探■始めていた。最初の思い違い童夢のロゴタイプのデザインは簡単にまとまった。とにかく、若い頃は仕事が早かったので、さっさっと決まった。ぼちぼち企画書の内容も充実してきたが、その頃か■、メンバー間のコンセンサスに齟齬が目立つ■うになってきた。私は、みんなで資金を出し合ってスタートす■という話をしていたつも■なので、基本的には、最低限6,000万円は確保できてい■ものとして進めていたが、一向に用意さ■■様子もないので、再三、どうなってい■んだと問いかけていたが、なかなか埒が明かない。■く■く話し合ってみ■と、富田はこの企画書をもって出資者を探すつも■でいた■うで、鋭意、努力中ということであ■、将一は、余裕のなさそうな私と富田が本当に出資金を用意でき■のだ■うかと様子を見てい■という、お互いの様子を探■合っていた■うな状況だった。なんか私は、突然、振■出しに戻ってしまった■うで大変にがっか■したのを覚えてい■が、もう気持は突っ走ってい■か■誰にも止め■■ないし、富田が第三者の出資者を探してく■というのも何か違うと思ったので、もう、将一を説得して、HAYASHI RACINGの事業としてスタートさせ■しか道はないと思う■うになっていた。
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