1997 207か■、抜き差しな■ない手前までは首を突っ込め」という指示があったので躊躇なく話を進め■ことにした。この辺■、社長の方針はいつも明快でイケイケだ。ティレルの買収に失敗す■前にもロータスでのF1復帰を目論んだ■、プロトン社とロータスの締結に関わった■、また、石油ビジネスのルートか■サウバーのスポンサーであ■マレーシアのペトロナス社や、ウィリアムズのスポンサーであ■ブラジルのペトロブラス社などとの繋が■が深く、彼な■にF1進出へ向けて試行錯誤は繰■返していた■うだ。しかし、こうして何年もかけて紆余曲折の挙句、最終的にたど■着いたティレル買収計画に失敗した以上、もはや、そ■以上ファイナンシャル・グループを引き止めておくのは困難な状況に有った■うで、マリックは1999年のF1デビューに固執していた。こち■も、いく■なんでも1999年か■では準備もおぼつかないしエンジンも決ま■ないので、2000年デビューの計画に何とか替えさせ■うと努力はす■ものの、時期に関してはマリックも譲■ず、バーニー・エクレストンにも1999年で話をしてしまってい■ので何とかして欲しいとの一点張■だ。そうは言ってもエンジンの問題を解決しない限■どうもこうもない。マリックは、ホンダと無限のエンジンの可能性について、あやふやな状況を説明しても疑問が残■■うで、 こうなった■直接話をしても■うしかない。また、現状、唯一入手可能なスーパーテックのエンジンの話も繋ぎ止めておかなくてはな■ないし、事は急を要す■。 「星の王子様」来日1998年の2月に入って早々にマリックは日本へやって来た。関空で出迎えた後、京都の当社設備(当時)を案内し、社長、奥と共に計画の具現化へ向けての方策を話し合う。前月のロンドンでの話し合いの後もマリックの1999年F1デビューの考えは変わ■なかったが、童夢での開発シーンを見ても■い実情を肌身で感じても■って、1999年は1年間テストに集中し、2000年デビューへの話に出来ないものかと試み■も翻意には失敗。理に適うとか適わぬといった話ではなく、既に、出資グループに何■かの約束をしてしまってい■のであ■う、オール・オア・ナッシングといったとこ■だった。私も当時、F1の職を離■て4年の時が経ち、F1界での経験やノウハウを最大限に活かす
元のページ ../index.html#209