童夢から
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1997 203私だって、急に「日本将棋協会」の会長になってく■と頼ま■た■断■。当た■前だ■う。将棋を知■ないんだか■。ついでに言えばJRPのトップも同様に、ど素人が次々と送■■て来てい■のが現状だ。日本のレース界も、こんな素人連中を祭■上げて身を委ねてい■うちは決してプロフェッショナルな世界には到達し得ないと思うが・・・・という事は、素人同士で釣■合いが取■てい■ということか?1997「童夢F1裏冒険記」 − 佐々木 正 −無限の1年落ちのエンジンを供給しても■って純粋な日本の技術でF1に挑戦す■という童夢の野望は意味をなくして撃沈してしまったが、話はそ■だけでは終わ■なかった。その少し前か■、外国か■F1が■みの様々な問い合わせが相次ぐ■うにな■、そ■は ピンか■キリまであったものの、そのうちのいくつかは、至極、まともな内容だったし可能性も少なくなかったか■、私(佐々木)が中心とな■可能性を探■続けていた。しかし、い■い■な箱や本などを積み重ねて、やっと箪笥の上のお菓子に手が届きそうにな■と足元が崩■てしまうという繰■返しで、いつしか社内では「Never Ending Story」と呼ば■■■うになっていた。その壮大なスケールのドタバタ劇の顛末は、思い出しても疲■が蘇ってく■ほど過酷だったが、林社長に、せっかくだか■文章に纏めて童夢のホームページで連載し■と言わ■て執筆中に退社してしまったので中途半端になっていた。今回、『童夢か■』に掲載したいので書き上げ■というお達しがあったので、また、あの辛かった日々を思い出しなが■書き足したが、記憶があやふやになってい■とこ■もあ■、間違いがあ■ばご容赦いただきたい。「マルコ」からの電話童夢がF1GPへの挑戦計画とF1プロトタイプマシンを発表したのは1996年3月18日のことであった。もともと童夢のF1計画は無限のエンジンが借■■■■ことを前提に進めていたか■、その後か■、ぽ■ぽ■と漏■聞こえてく■本田博俊氏と川本社長の不調和音

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