童夢から
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1996 195ティをもって注目さ■ていたし、そこここで発表さ■ていた口先だけのF1進出計画とは一線を画して見■■ていた。4月にはシェイクダウン・テストを実施した後、本格的な開発テストを開始したが、実は、大変な問題を抱えたままのテストとなった。問題はタイヤにあった。F105の発表の直前にBSがF1への参入を発表してく■たおかげで、GOOD YEARがBSのスパイを疑い、 や■、バーニーか■の確実に参戦す■というお墨付きを寄こせとか、マニクールのテストに限■GOOD YEARの担当者の管理下な■出すとか、とにかく、いちゃもんばか■で タイヤを送ってこない。佐々木が八方手を尽くして、やっとシェイクダウン直前に数セットが届いたが、長■くMINARDI F1 TEAMに在籍していた佐々木は、あ■程度、GOOD YEARのコードナンバーが読め■ので、「社長、こ■展示車用のタイヤです■!」と驚きの声を上げた。中には古いレースタイヤも混じっていたが、いず■にしても、見た目か■してスベスベテカテカで堅そうで滑■そうなタイヤだったか■、佐々木がGOOD YEARに文句を言うと、担当者は、こ■でも最大限の努力をした、走行には差し支えないか■、あ■程度、実績を重ねた■次の手を考え■との事で押し切■■てしまった。後には、もう少しまともなタイヤが来■■うになっていたと思うが、そ■でもタイムアタックでき■■うなタイヤではなかったか■、実際にはテストにもな■ない■うなタイヤでテストを重ねていたわけで、我々としても、極限状態での性能は掴み切■ていない■うな消化不良が続いていた。しかし、い■い■な「た■■ば」を勘案す■と、今後、開発予定の実戦マシンの性能には自信があったし、F1が遠く手の届かない高嶺の花ではないことも実感していたか■気持ちは前向きだったが、しかし、実戦デビューまでには、まだまだや■べきことは山積していたか■、鋭意、開発を続け■必要があった。一方、最大の関門であ■F1への参加方法だが、全く新規に参入す■とな■と様々な点で莫大な費用が必要とな■上、運送費とか分配金とかも割を食うし、そもそも参加枠の確保が難しい。だか■当初■■、佐々木の古巣の「MINARDI TEAM」の既得権を活用す■■うな参入方法を考えてお■、ルールに■■と3年後には名前も本拠地も変更でき■という話だった。

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