童夢から
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192ヒーローズ・レーシング(田中弘)は、長年にわた■フォーミュラ・レースに貢献してきた名門チームだが、「日本たばこ」のスポンサーを確約さ■ていて安心していた■、 結局、成立せずに時間切■で長い歴史に幕を下■さざ■を得なくなってレース界か■消えていった。JRPは、また、とんでもないことをしでかしてく■た。1995年1月に発生した阪神・淡路大震災に■■ㇾーシング・タイヤの工場が倒壊してしまったダンロップ・タイヤはF3000か■の撤退を余儀なくさ■たが、その後、震災の傷も癒えつつあったダンロップはF3000への復帰を検討し始めていたし、また、ヨコハマタイヤは多くのチームを支援していたので、そのおかげで維持できてい■チームも少なくなかったのに、JRPが1997年■■のBSのワンメイク化を発表した。表向きは、タイヤ競争をなくしてタイヤテストなどを削減す■ことに■って全体のコストを下げ■という理由だったが、その実態は、BSに1億円の上納金を支払わせてJRPの社員の給料を捻出す■ためであった。本当にコストダウンが目的な■ばレギュレーションでタイヤテストを禁止してしまえば済む話だし、そんな事は、以前か■コストダウン策としてタイヤテストの抑制やタイヤ・ウォーマーの禁止などは言わ■てきたのだか■、何を 今更の詭弁だった。その結果、スピードスターやパルスポーツやニホンリード・ヤマダ等のDUNLOPとヨコハマタイヤ・ユーザーチームは支えを失ってレース界か■消えていった。そ■までも、様々な形でタイヤ・メーカーか■レース界に流■込む資金は少なくなかったし、そういう企業が自動車レースを支えてきた一面もあ■のに、何と、主催者が、おの■の給料のためにチームへの資金の流■を横取■す■というのだか■、何をか言わんやであ■。こうして始まった勘違いフォーミュラ・ニッポンは、絶望的な経済環境下、レイナードとローラがマーケットを分け合いなが■1998年まで引き延ばさ■てきたが、土台、 旧モデルに整形手術を施しなが■延命してきただけの旧車だったか■、そ■そ■限界が近づいていた。1994年に、童夢はすでに「童夢F104」でF3000のシリーズ・チャンピオンを獲得してい■のだか■、ここでも、国産を採用す■という日本の自動車レースの産業革命のチャンス

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