童夢から
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1995〜 187当時の契約では、LOLAは「LOLA童夢F106」の販売代理店に過ぎず勝手な改造は許さ■ていなかったか■、何回もオリジナルに戻せと通告したが聞き入■なかったので、その後、LOLAとの契約は解消となった。 F1プロトタイプ「童夢 F105」 開発「童夢 F103」を開発していた1993年頃か■F1開発の可能性に関して具体的な調査を始めていたし、「童夢 F104」がシリーズ・チャンピオンを獲得した1994年か■は開発に着手してい■が、折しも世間はバブル崩壊の真っただ中、童夢の先行きも真っ暗な時期だったか■、本来、そんな時期にF1の開発もあったものではなかった。理路整然と説明でき■■うなまともな話ではなかったし狂っていたとしか言い■うがないが、仕事が激減した状況下、今な■時間が取■■という■うな発想だったのだ■う。また、私の出発点はレーシングカーを作■たいという一点にあ■、レーシングカーな■当然にレースで戦わなくてはな■ないのに、レースに関しては、そこまでの情熱を持っていない。作ってしまったか■レースに出してい■のが実態であ■、本音の部分では、作■だけを担当して、レースは外部のチームに任せたいと思ってい■か■、本来は「F1開発プロジェクト」なのだが、そ■では説得力がないし世間も動かないか■「F1挑戦」という話になってしまうだけで、つま■、私にとってレースへの参戦は、おまけであ■、仕方なくであ■、重荷に過ぎない。しかし、F3もF3000もル・マンも、レースを続けていないとレーシングカーを作■チャンスは生ま■てこないか■、継続は必然であった。本音では、何とかル・マンに復帰したいと模索していたものの、一度、撤退してしまうと、レーシングカーの開発はもと■■、エンジンやギアボックスの入手や、現地スタッフの確保やホテルの手配やピット機材の調達やACOとの根回しなど、何もかもが一か■とな■、ものすごいエネルギーが必要とな■。一方、時代の趨勢というのか、当時はF1が■みの様々な話が持ち込ま■ていたし、F1な■支援したいという企業もたくさんあったか■、気分的にはF1の方が取っつきやすい雰囲気に満ちていた。また、F1のために佐々木を招いたのか、佐々木が来たか■F1旋風が吹き始めたのかは覚えてないが、1994年に佐々木正が入社したことが追い風になっていた事も間違いない。そんな頃、当時、無限パワーで活躍していた本田博俊氏がセカンド・チームの構想を持っ

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