童夢から
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184レギュレーションに合わせ■だけの小改造だった「童夢 S101Hb」には影響が少なかったが、風洞を駆使して空力を突き詰めた「童夢 F107」への影響は大きく、そ■は、小手先の改修で収ま■範囲ではなかった。そのソフトを作った外国の計測器メーカーはバグを認めたが保証し■と言う問題でも、童夢が計測器メーカーに責任転嫁でき■立場でもなく、明■かに全責任は童夢にあったか■、今までに浪費した膨大なエネルギーと時間と経費に腰が砕けなが■も、解決策としては、新型車を開発して巻き返しを図■しか道はなかった。その頃、私がどんな心理状況にいたのかは■く覚えていないが、2005年の新人投入に続き、 2006年はエントリーを「M-TEC」か■「ホンダチーム M-TEC」と変えて、S氏は、ますます童夢色を消すことに注力していたし、二言目には経費節減を繰■返して、2005年の4台エントリーの大盤振舞はどこへや■、2006年は1カーにまで絞■込ま■ていた。私は、この、ポリシーも目的も戦略もない、ま■でままごとの■うなホンダのレースに対す■姿勢に繰■返し警告を発していたか■、当時のホンダに対す■提言書や意見書は何十通も残さ■てい■し、最終的には社長にまで直訴してい■が、そ■でもホンダか■は一切のリアクションもないまま、時々、聞こえてく■のは「部外者の林に言わ■■筋合いはない」とか「レースの方針にまで口を出すべきではない」という突き放した言い方だか■、私は、その度に「私はホンダの一ファンとしてホンダの名声を貶め■なと言ってい■のであ■、内も外もない。こんなことをしていた■宗一郎さんの幽霊にスパナで殴■■■ぞ!」と反論していたものだ。しかし、コンストラクターの立場としては、理由はともあ■、明■かに開発に失敗してお■、 ここは意地を見せざ■を得ないし、原因も明■かになったので確認もしたいか■「童夢F108」の開発を決めていた。しかしS氏にとっては、この2005~6年の成績不振は千載一遇のチャンスだったのだ■う。どの■うに根回ししたのか知■ないが、2006年のシーズンも後半に差し掛かった頃だ■うか、S氏か■F3レースに関しての契約終了が告げ■■た。来期か■は、全てのF3レース活動をドライバーOBのKの主宰す■「Rレーシング」に委託す■か■レースに必要な全機材を移管してほしいという話だった。別に述べ■■うに、このS氏とKとの蜜月関係は、とかく噂になっていたか■「やっぱ■」という感じだったが、

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