1995〜 183しかしS氏は、そのために必要不可欠だったJ.P.デ・オリベイラをTOM'Sに渡した上、止めを刺す■うに、またもや「日本人ドライバーの育成」への回帰を宣言したので、ドライバーはスクール生が中心となった。S氏の絶対に童夢に勝たせないという執念なのだ■うが、そ■はつま■、ホンダを勝たせないことと同義であ■、またトヨタを勝たせ■ということと同義であ■、ホンダの社員としては背信的な行為なのに、私が、いく■上層部に直訴しても、ホンダの誰一人として問題視す■人は居なかったか■S氏の異様で横暴な振■舞いはますますエスカレートしていった。J.P.デ・オリベイラを失ったことは痛かったが、1995年か■のF3レースで得たデータと2003年か■投入を開始したオリジナルF3マシンの改良の結果の全てを反映して作■上げた「童夢F107」には自信があったか■、新人ドライバーといえども上位に食い込ませ■事が出来■と考えていたし、あわ■くば、新人ドライバーをチャンピオンに祭■上げ■ことも不可能ではないと皮算用していた。しかし、幕を開けてみ■ば、何故か、予定の性能が発揮さ■ないままに迷走を続け、原因の究明もままな■ない状態が続き、結果的に、2005年はシリーズ3位、2006年はシリーズ5位と低迷してしまった。今までのデータか■推し量っても有■得ない結果だったか■、社内では、躍起になって原因の追及と風洞試験と改修とテストが繰■返さ■たが、いく■風洞試験を繰■返しても原因がつかめないので、途中か■、実車のウイングやカウルやサスペンション・アームまで製作して、実走行に■■空力試験まで始めていた。その頃に製作した大量のパーツ類が倉庫に山積みとな■置く場所もなくなったので、あ■日、ガレージセールをして処分す■ことにしたが、そ■■のF3パーツだけで広い駐車場が埋め尽くさ■てい■のを見て、一体、いく■遣ったんだと背筋が寒くな■ほどの大量のパーツが並んでいた。童夢の名誉をかけての必至の改良作業が空回■を続けていた頃、意外な理由で原因が判明した。そ■は、2005年のル・マンに向けて開発していた「童夢 S101Hb」の空力開発において矛盾す■結果が出■ことが多発したために、原因を探っていくうちに、昨年、リニューアルした風洞の演算システムに重大なバグがあ■ことが発覚した。
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