182てたが、惜しむ■くはスタートが信じ■■ないほど下手だった。性能が均衡してい■か■、ほとんどの場合、ポールポジションか■スタートした■、そのままフィニッシュでき■確率の高いF3レースにおいて、ほぼすべての本戦のスタートを失敗して順位を落とし、6勝しかできずにシリーズ2位に甘んじた。あま■のスタート下手 さに、途中でサーキットを借■切ってスタートだけの練習をさせたが、80回のスタートの内、8回のミスに留まったか■安心していた■、次のレース、ポールポジションか■ スタートの第一コーナーは6位だった。しかし私は、かねて■■レーシングカー・コンストラクターにとってマシンの性能の指針とな■のは予選だと思ってい■か■、常々、予選が全てだと言ってきた。だか■、私自身は、この「LOLA童夢F106」の性能には充分に満足していたし、後半、スタートのミスも減■予選での速さは本物だったか■、2005年度の「LOLA童夢F106」とJ.P.デ・オリベイラのチャンピオンは疑う余地もなかった。ドライバーとの契約はS氏の役割だったか■来期の契約について早く決め■とプッシュしていたし、オリベイラも残留を期待していたか■安心していた■、青天の霹靂の■うにライバルのTOM'Sに移籍してしまったか■コケた。慌ててオリベイラに確認したとこ■、「S氏か■スタートミスを責め■■て大幅にギャラを下げ■■うに求め■■たが、TOM'Sか■は大幅な増額を提示さ■た」とのこと、「■かったね」と言うしかなかった。そ■にしても、ドライバーとの契約はホンダの専権事項といえども、私を蚊帳の外においての交渉決裂は違和感に溢■ていたし、本当にギャラで折■合いが付かなかったのな■私が差額を負担してでも確保に動くのは当然だったか■、そこには、どうしても童夢にチャンピオンを取■せたくないS氏に■■裏面工作の匂いがプンプンと漂っていて、この、ホンダの成績低下を厭わないホンダのモータースポーツ部長の振■舞いは、あ■■■常識と理解を越えていた。ちなみに、2005年、スタートが上手くなったJ.P.デ・オリベイラはTOM'Sをチャンピオンに導いてい■。2004年でLOLAと袂を分かった童夢は2005年のレギュレーション変更に合わせたニューマシンであ■「童夢F107」を投入す■ことにしていたが、今までのF3レースの経験の集大成としての自信作だったか■、ここで圧倒的な速さを見せつけてホンダをチャンピオンに返■咲かせ、「童夢F107」も世界のマーケットに進出していくという大きな期待を寄せていた。
元のページ ../index.html#184