童夢から
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1995〜 181未熟なドライバーをあてがい童夢の成績を貶め■というS氏の作戦は功を奏し、2003年のホンダと「LOLA童夢F106」の最上位はシリーズ6位とな■、期待が大きかっただけに、世間の評価は一気に落胆へと変わってしまった。ブランニューのF3だか■、一部、未成熟な部分があったことは認め■ものの、そ■でも、ここまでの性能差は有■得なかったし、ドライバーの未熟さはデータロガーでも明■かだったか■、ホンダのF3ワークス・チームという■■は鈴鹿のレーシング・スクールの延長に過ぎなかった。当然、2003年度の成績低迷の原因は童夢のシャシー性能に擦■付け■■■ことにな■が、このS氏の私的感情丸出しの愚行は個人レベルのご乱行だとしても、私は、ホンダのレース活動と言う視点か■見ても、4台を走■せて、全員を発展途上のドライバーにして成績を低下させ■のは不適切極ま■ないと思っていたか■、上層部にも直訴していたし、メディアでも指摘していたにも関わ■ず、S氏の捏造と言え■報告書を鵜呑みにして、急激な成績低下の実態も見極め■■ないホンダ本体のレースに対す■見識のなさとレースに対す■姿勢に大きな疑問を抱き始めていた。S氏は、2003年の成功(童夢の成績を悪くす■企み)に気を良くして2004年に向けて、またもや新人育成を言い出していたが、私は、「新人育成が目的な■[新人育成だか■成績には拘■ない]と明文化し■。成績を言うな■速い外人ドライバーを入■■」と、再度、二者択一を迫■、「成績に拘■ない」と明文化す■わけにはいかないS氏は、やっと1人だけ速いドライバーの参加を認めた。そこで目を付けていたジョアオ・パオロ・デ・オリベイラと契約したが、しかし、毎年の■うに、速いドライバーを採用す■ことに、こ■だけ苦労す■環境が、そもそも狂ってい■。このS氏の意地悪さはますます露骨にな■、F3へのエントリーは当初の「童夢」か■ 「無限×童夢プロジェクト」に変更さ■、2004年か■は「M-TEC(無限)」に変わ■、 エントリーリストか■童夢の名前は消えた。金の流■も無限経由とな■、主要なミーティングには無限も参加していたか■、ち■っと面倒な手続きは増えたが、肝心の無限が童夢に任せっき■だったし、実質的なオペレーションは全て童夢がやっていたか■、実態は何も変わ■ないままだった。2004年、「LOLA童夢F106」とJ.P.デ・オリベイラは、全20戦の予選において16戦で ポールポジション又は2位をゲットす■という快挙と言っても良いほどの記録を打ち立

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