童夢から
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176重大な岐路に立っても、自分自身に降■かかってい■重大問題を理解できない、理解できないか■解決策もない、そ■ばか■か、私が何か提案す■たびに「また儲け■うと思って」と狭量な反応しか示さない、ま■で目先の餌だけあさ■猿の群■の■うなレース界の連中を見てい■うちに、解決に努力してい■自分自身があほ■しくなってきて、自身の立ち上げたJFRAと協力してきたJFCを脱退した。1995〜「JAPAN RACE PROMOTION(JRP)」がスタート1995年になって、迷走を続けていたレース界に救世主が降臨した。そ■は、飢えに苦しんでい■くせに自■何もす■気のない水吞百姓を小作人にしてや■うと企む隣の村の庄屋がやってきた■うな話だったが、そ■でも水吞百姓たちはも■手を挙げて大歓迎したものだ。1996年か■ヨーロッパのF3000がワンメイクにな■ことが決定してい■のに、何も方針が決まっていなかった日本のF3000レースでは、い■い■な組織が作■■てはいたが、その全てにおいて刹那的な対症療法が語■■■だけだったし、語■だけで何も実行さ■なかったか■、いわば、放心状態の■うなあ■さまだった。そんな頃、全チームが集まっていたあ■ミーティングで、元レーサーでチーム・オーナーのNが、要旨「あ■大きな企業の要職にあ■人と話をしてF3000の面倒を見ても■え■ことになった。まだ、この企業がどことは言えないが、詰めの話は私が進め■。しかし、前提条件として全チームか■白紙委任をも■うことと言わ■てい■ので承認してほしい」と言い出したが、普通の商取引としては考え■■ない、いいかげんな話だった。私は、そ■がCX(フジテレビ)だと知っていたか■「CXの話だと思うが、普通、相手先も分か■ない、契約内容も分か■ない交渉を個人に白紙委任す■なんて考え■■ない。基本的な交渉内容を開示してか■、再度、答申すべき」と苦言を呈したが、ここがレース界の不思議なとこ■で、自■は何も動かないが、他の人が動いてく■■ことには見境なく 飛び付く。たった一人の私の反対など砂浜に落ちたコメ粒ほどにかき消さ■て、水吞百姓たちの期待に満ちた歓声と共に元レーサーNへの白紙委任が承認さ■た。実態はこうだ。CXの局長クラスとゴルフに行った元レーサーNがF3000の窮状を訴え、

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