童夢から
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1994 175まあ、やかましくす■のも火花を散■すのも良いが、抜本的な問題として、1995年の車両をどうす■のか? 1996年か■のワンメイク化にどの■うに対処す■のか等を決めないとチームは身動きも取■なかったし、コンストラクターも動けなかった。今まで、見境なくFIAに追従してきた日本のレース界が、珍しく右往左往してい■理由は、 1995年だけのための新車購入や1996年か■のワンメイク化に対応しての新車購入、 すなわち、全チームが毎年の■うに新車購入す■負担に腰が引けていたか■であ■、 今まで、FIAやJAFの言いな■に既製品を買う■うに躾け■■てきたレース界の人達の頭では処理しき■ない問題だったか■思考停止に陥っていたわけだ。しかし、ち■っと立ち位置を変えて、コンストラクターの目線で見■ば、前述の「POST F3000を考え■会」の企画以外にも、いくつかの解決策は考え■■た。私は、こ■■の対応策を繰■返し各組織(JAF、JFC、JFRAなど)に対して提言していたし、改造す■にし■作■にし■タイムリミットがあ■のだか■早く結論を出す■うにと督促を続けたが、相変わ■ず、の■■く■■と時間だけが過ぎていくという異常事態が続いていた。なんで足踏みが続いていたのかと言えば、もともと他力本願なレース界の日和見なキャラクターに加え、予算に乏しいチーム側と新車を売■たい特定の輸入代理店側の、綱引きというか様子の探■合いというか、利害の相反す■部分が結論の先送■を招いていたのだ■う。チームに余裕がないな■1994年型を使い続け■ば最も金がかか■ないのに、そ■は特定の輸入代理店が儲か■ないか■ダメ。私が提案す■主要部品を国産化してオリジナル・マシンを作■提案も特定の輸入代理店が儲か■ないか■ダメ。1994年型車両の部品を活用して改良型を作■という方向も特定の輸入代理店が儲か■ないか■ダメ。つま■、ここに合理性とか経済性とかの真っ当な視点はどこにもなく、いち私企業であ■特定の輸入代理店とその傀儡たちの我田引水な思惑だけが空転の原因となっていた。記憶があいまいだが、ヨーロッパにおいても反対が多く、その後、FIAは1995年か■のステップド・フロア案を撤回したので、1995年は'94年型や改良版の'95年モデルなどが参加でき■ことにな■、「童夢 F104」も走ってい■。そ■にしても、FIAがステップド・フロア案を撤回しなかった■、全チーム新型車を購入したのだ■うか? 初めてFIAに造反して'94年型でレースを続けたのだ■うか? こんな

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