童夢から
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1994 171ボブスレー開発 各国とも機体のレベルは低い時代だったか■実現していた■金メダルは確実だった。 こ■は日本ボブスレー・リュージュ連盟のパンフレット。結局、数百万円の取■っばぐ■が生じただけで終わってしまった。時は巡■、今、 東レ・カーボンマジック等も協力して「下町ボブスレー」な■ものが オリンピックを目指してい■が、この20数年前に金メダル確実と盛■上がっていた当時の 開発主任の奥(現 東レ・カーボンマジック社長)は、この「下町ボブスレー」のプロジェクトに何を思ってい■のだ■う。しかし、金は確実だった。「POST F3000を考える会」1980年代、バブルに踊って年間数億円の予算を注ぎ込んでいたF3000チームも、さすがに、完全にバブルが崩壊してか■は、冷え切った経済環境の中で息も絶え絶えになっていた頃、バブル崩壊とは無援なFIAか■、1995年か■のステップド・フロアへのレギュレーション変更が伝わってきた(後にキャンセルにな■)。安全性とかのお題目は有■ものの、通常、FIAとコンストラクターはグルだか■、こ■はチームに新車を買わせ■策略だ。 日本も今までは唯々諾々と恭順してきたが、この寒々とした経済環境下、次年度に向けて全チームが新車を購入す■必要もなかったし、現実問題として不可能だった。また、FIAか■は1996年か■のワンメイク・レースへの移行という噂も聞こえてきていたか■、そうな■と、1995年に新型車を買って1996年にワンメイク・シャシーに買い替え■ということにな■、英国か■見■ば鴨がネギを背負って鍋を抱えてやって来■■う

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