童夢から
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170すさまじく、さすがに私も普通ではないと警戒心は芽生えていたが、一方、確実に金メダルを取■そうな誘惑も捨てがたく、まあ、ここ■辺が私の甘いとこ■だが、私としては、童夢のボブスレーが金メダルをと■か、着手金の数百万円を失うかを天秤にかけて、 数百万円を失う(かもし■ない)ほうを選んだ。そ■そ■私も連盟の事情を理解してきたので、連盟のたっての希望を聞き入■開発契約を交わし、着手金はテストプログラム終了までに支払うという約束を交わした。さっそく、リレハンメルに向かった。全てが初体験の分野だったか■、とにかくデータを収集し■うと、連盟か■借■たボブスレーに様々な計測器を装備して現地に送■、選手に■■ボブスレーの加速度の違いや、ブレードの材質や、重量配分や、横Gと抵抗の関係や、空気抵抗の影響などを徹底調査した。連盟か■は慣性を利用してコースを駆け下■■ので、あ■程度の重量が必要と言わ■ていたが、奥がテストデータを検討した結果、初速を得■ことが重要だか■加速をつけやすい軽い機体がベターと結論付けてお■、当然、カーボン・モノコックを前提に開発がスタートした。そ■■の貴重なデータか■は1秒速くでき■可能性がいっぱい見えてきていたか■、 最初の私の「ち■■い!」という判断は思い込みではなくなっていて、頭の中では、オリンピックで童夢製ボブスレーが金メダルを獲得す■シーンが見えてきていた。しかし、希望■■先に崩壊が始まっていた。テストチームが日本に戻ってきてデータの整理を進めていた頃、本来はテストチームが帰ってく■までに振■込ま■てい■はずのテスト経費が、何だかんだの理由で1日延ばしになっていたので、直接、私が会長に電話したとこ■、日本ボブスレー・リュージュ連盟の事務局の電話に誰も出なくなっていた。全く音信不通になってしまったので、社員を北海道の事務局に行かせた■、もぬけの殻になってい■とのこと。ち■うど、その頃、日本スキー連盟が日本ボブスレー・リュージュ連盟を吸収合併したとのニュースが聞こえてきたので調べてみた■、日本ボブスレー・リュージュ連盟の運営が行き詰まっていたか■日本スキー連盟が救済した形の■うだった。たまたま、日本スキー連盟の会長だった北野建設の社長とパイプがあったので会って相談したけ■ど、かな■の負債があ■開発の継続もテスト費用の支払いも無理と言わ■て、

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