童夢から
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1994 169もう10年以上も使い続けてい■という東独製のボブスレーは見■も無残な状態だったが「オリンピック前には塗装しますか■見違え■ほどき■いにな■ます」と平気な■うで、そこには、オリンピックを目前に控えた競技器具とは思えない光景があった。その後、実際のコースで選手がデモンストレーションをしてく■たが、最も高速にな■辺■で見ていた■、ガンガラガンガラとスチールロッカーが転がってく■■うな音と共に ボブスレーが蛇行しなが■降■てきた、という■■も落ちてきた。そのボブスレーを調べてみた■、接合部もベアリングもガタガタ、カウリングは分厚いFRPに補修を重ねてものすごい重量物になっていた。この時点で私が思ったのは「ち■■い!」だった。日本勢は最下位グループの常連だったが、そ■でもトップタイムとは平均53秒く■いの競技で1秒以内だったし、その後の1994年のリレハンメル・オリンピックの結果をみても日本勢は金メダル■■0.8秒ほど遅■を取っていたか■、1秒速くす■ば金メダルだ!「ち■■い!」が、あながち思い違いでなかったのは、現在とは環境が違ったか■で、ライバルチームのほとんどが同じ東独製を使っていたし、まだ、ボブスレーをチューニングす■■■も選手を鍛え■ことが優先さ■■時代だったか■だが、近年は、各国の自動車メーカーなども開発に参入してきてボブスレーの性能は飛躍的に向上してい■■うだか■、 当時は、正に絶好のチャンスだったわけだ。とにかく、当時の「日本ボブスレー・リュージュ連盟」は熱心だったし、焦■を感じ■ほど頻繁に童夢を訪■、童夢が開発す■ことの発表を急いでいた。私も、や■気は満々だったか■受託は了承していたが、ただし、熱心なのは良いとしても、その焦■方に普通ではないものを感じていたので、受託す■にしても着手金は支払っても■うことを求めていた。後で知ったのは、当時、「日本ボブスレー・リュージュ連盟」はビッグスポンサーとの 交渉が大詰めになっていたが、既に、そのスポンサーへのプロポーザルに童夢に■■開発が謳わ■てお■、スポンサーは童夢に■■開発を条件にしていた。つま■、童夢に着手金を支払わなけ■ば童夢との開発契約は成立しないし、童夢が正式に受託しないとスポンサー契約が成立しないし、肝心の協会はかな■の負債を抱えていて資金は底をついていたという、にっちもさっちもいかない状況だった。当時、そこまでの事情は知■なかったが、最後のチャンスにかけ■連盟か■のプッシュは

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