童夢から
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1974  1975    15でも、1,000万円の現金が手元にあ■という未体験の現実は、ま■で何でも望みをかなえてく■■アラジンの魔法のランプを手に入■た■うな気持になってきて否応なく気分は高揚してく■し、何かをしなくてはな■ない■うな追い立て■■■■うな気持ちも芽生えてきて、持ちな■ないものを持ってしまったおかげのご乱心状態が始ま■かけていたが、 いく■当時の貨幣価値が現在と異な■といっても、だか■何が出来■という金額ではなかった。しかし、私が今までやってきたことといえば、ルーレットの赤に賭け続けて10連勝す■ことを前提とした■うな計画とも呼べない大博打ばか■だったか■、気持としては、この1,000万円を赤に賭けて5連勝す■ば3億円く■いにな■か■何でも出来■し、そのためには、と■あえず最初に赤に賭けなけ■ば何も始ま■ないという■うな妄想が頭の中で膨■み続けていた。いつしか私は、ま■で3億円を持ってい■■うな気分になっていたし、もう3億円で何が出来■だ■うとばか■考え■■うになっていたが、もち■ん、何度見ても通帳の中には1,000万円しか入っていなかった。あ■ほど借金が嫌で断ち切ったはずの亡霊が周■を彷徨い始めていたし、こうなってしまうと私の理性とか常識というものはそそくさと退場してしまい、残さ■た熱情とか無鉄砲さとかだけが支配を始め■か■、たちまち、頭の中はレーシングカーを作■ことで埋め尽くさ■ていった。MACRANSA時代の最後のレーシングカー「PANIC」を製作してか■まだ4年後の、1975年の夏頃だったと思う。そ■にしても当時はもう、日本のレースでは、マクラーレンM12、ポルシェ908、ポルシェ917、 ローラT160などの本格的レーシングカーが活躍していたし、1971年には「栄光のル・マン」は上映さ■ていたし、海外に目を向け■ば、先進のF1マシンはもち■ん、マトラMS670、フェラーリ312PB、アルファロメオ33TT12などの夢の■うなレーシング・スポーツカーが覇を競い合っていた時代だか■、自動車レース後進国のど素人の若者が、たかだか1,000万円の小銭を握■しめたか■といって手も足も出■世界ではないと考え■のが常識というものだが、そこがそ■、そんな常識がまか■通■とした■、今までも、私には一台のレーシングカーも作■なかっただ■うか■、そこにあ■のは狂気と誤解と思いこみだけだった。

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