童夢から
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1993 1994 167こ■までも開発を続けていたにもかかわ■ず、その差は縮ま■なかったのだか■、このままでは何も解決しないのは見えていた。当然なが■、開発陣は技術的な解決を目指すものの、何年も負け続けてい■現実に京極部長は技術的な解決には見切■をつけていたか■、私と京極部長との間では、もう、オリジナル・シャシーを投入して形勢逆転を図■しかないと認識を共にしていたが、しかし、 技術的な解決を目指す開発陣にとっては異質な話ではあ■し、まともな対応ではなかったし、かな■の予算を必要としたか■、当然ではあ■が進捗は遅かった。実は、そんなダンロップの葛藤を■そに、童夢では、先走って1988年か■自前で「童夢F101」の開発を始めていたが、前述した■うにカーボン・モノコックの不具合で自滅していた。しかし、並行して開発していた「TOYOTA 88C-V」のカーボン・モノコックは成功していたので、自信を持っていた私は、京極部長に実戦マシンの開発を急ごうとけしかけていたが、依然、タイヤの開発陣か■は、ダンロップ・ユーザーと同じシャシーでのレースを求め■■ていた。そんな綱引きが2年超しに続いていた1991年になって、やっと、広くダンロップ・ユーザーが使ってい■LOLAと同等の特性のマシンな■OKという中途半端なGOサインが出た。そこで、サスペンションはレイアウトもジオメトリーもLOLAに似せなが■も、既に稼働していた25%風洞を駆使して空力特性に優■たマシンを目指し「童夢 F102」が完成したが、実戦投入してみ■と気まぐ■な操縦性を示し、かな■扱いにくい性格であ■ことが判明して、直接的に成績に反映す■とこ■までは至■なかった。そ■でも特定のコーナーでは異次元の速さを示したし、そ■は、次年度に向けての希望となっていたか■、ダンロップの技術陣も期待を高めた■うで、やっと、1993年に向けてはシャシー性能でチャンピオンを目指そうというコンセンサスが固まってきたし、もうLOLAと同じサスペンションという縛■も必要なしとなった。さあ、完全なオリジナル・マシンを作■うと張■切って「童夢 F103」を開発したのだが、き■■と光■潜在能力を示しなが■も、やは■、ムラのあ■操縦性が直ってお■ず、今一歩、勝利には手の届かない状況が続いていた。シャシー性能でチャンピオンを目指すという掛け声が少し空しく響き始めたシーズン後半には、お約束の■うに、成績向上はタイヤ性能の向上に■■目指すべきという正論中の正

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