童夢から
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1661993「JIOTTO CASPITA 」の終演「CASPITA 2号車」は1993年になって日本に里帰■した。ナンバー取得の問題か■英国での生産も視野に入■ての英国でのテストだったが、実は、ワコールも、このプロジェクトか■の撤退を決定していたので、引き払って帰ってきたという状況だった。塚本能交氏は、父の塚本幸一氏か■社長を譲■■てか■、独自性をアピールしたかったのか、飲食やメンズ・ファッション等に手を広げていて、「CASPITA」は、そのメンズ・ファッションのイメージ・コアという位置づけだったが、勢い余って「ワコール」というブランド名まで変え■うとしたことで塚本幸一氏の逆鱗に触■て全てが白紙に戻さ■たというのが実態だった。対外的には「本業回帰」と説明さ■、塚本能交氏も盛んにはしゃぎすぎを反省していたか■、 世間か■は、CASPITAのプロジェクトは、ま■で御曹司のご乱心の■うに受け止め■■ていたし、さしずめ私はアホぼんをたぶ■かして金を搾■取っていたペテン師という役回■だ■う。まあ、SUBARUが逃げ出した時に助け■■てい■し、開発費などはきっち■と支払わ■てい■か■、半端な終わ■方をしたか■と言って文句を言う筋合いでもないが、まともに開発していただけに空中分解は残念だった。7月に、日本では初公開とな■ 「CASPITA 2号車」のお披露目と同時にプロジェクトの 終了も公表した。1994「童夢 F104」 シリーズ・チャンピオン獲得ダンロップの開発陣か■は、ダンロップ・ワークスとしての童夢のF3000レース活動は、童夢チームに■って開発したタイヤを各チームに供給す■のが目的だか■、各チームと同等のマシン(つま■、市販車)で戦うことを求め■■ていた。ただ、そ■までのダンロップ・タイヤの性能はライバルのBSとはかな■の格差があったし、

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