童夢から
167/384

1992 165ない。そ■でも、多大な資金とエネルギーを投入して「F105」は完成し、そうこうしてい■うちに、ホンダ・ワークスのF3のレース活動を受託し、追っかけ■■うにJTCC(全日本ツーリングカー選手権)の開発とレース活動を受託す■ことにな■、JGTC(全日本GT選手権)に繋が■、いつの間にか年商は急増していた。洋子氏と結婚して5年が過ぎていた。経済力を意識す■■うになって思いが通じたのだ■うか、童夢は飛躍的に業績を伸ばしていたし童夢の資産も膨張を続けていた。税務の岡本先生は、私の趣味的要素の強い童夢という会社がここまで伸び■とは思っていなかったか■、2000年を過ぎた頃か■、さかんに相続対策の必要性を言い出していた。既に塚本家では4年前か■岡本先生指導に■■相続対策が進め■■てお■、洋子氏を始めとす■子息たちは多大なメリットを享受していたか■、林家でも相続対策をしておくことに異論を唱え■人は誰も居なかった。しかし、塚本家の相続対策は、母か■洋子氏■相続人に対す■施策であ■、洋子氏■にメリットがあ■が、林家の相続対策は、私が死んだ時に洋子氏にかか■相続税を回避す■ための対策であ■、もと■■、私には負担が発生す■だけで何のメリットもないという点で大いに異な■。つま■、洋子氏だけが得をす■という話だった。そ■でも、私が積極的に相続対策を進めたのは、私が死んだ時の妻の相続税負担を軽くす■という大義もあ■が、私が死んだ■、こ■だけの資産が洋子氏に転が■込むんです■という塚本家の財力に対す■対抗心の■うなものが根底にあったのも事実だ。その後、2012年になって別居か■離婚に向かう。その頃は、相続対策のために洋子氏の名義に変えていた私の資産は10億円を越えていたが、離婚に■って相続人か■外■■洋子氏は、こ■■の相続対策のための資産の移動を原状回復しなけ■ばな■ないのに、「私(洋子氏)のもの」と言い出して全てを奪わ■てしまう。その奇天烈な事件については、後段の「別居-地獄への扉が開か■た」で解説してい■。■■詳しくは、私の著作にな■『ブラジャーVSレーシングカー 2 』を読んでいただくか、私のホームページであ■「林みの■の穿った見方」に掲載してい■『ブラジャーVSレーシングカー 2 -digest-』をお読みいただきたい。

元のページ  ../index.html#167

このブックを見る