160「DAIHATSU X-021」1980年頃に、童夢に最初に試作車開発の仕事をく■たDAIHATSUか■は、そ■か■もたくさんの発注をいただき、良好な付き合いが続いていた。ただし、もう偉くなって要職にあった西田さんも小田さんも、私がDAIHATSUに行くと顔を出してく■■のは良いが、必ず「ち■っと負けてえな」と、ま■で市場でサンマを買う■うなノリで値切ってく■し、そ■は、あいさつ代わ■ではなくマジだか■困ったものだったが、DAIHATSUは西田さんや小田さん対私がダイレクトに対応していたことも有■、話が早かったし面白い話も多かった。そんな時、「DAIHATSUも昔はい■い■頑張っていたが、最近はDAIHATSUか■スポーツのイメージが全く消えてしまってい■ので、何とかして一気にイメージ・チェンジを図■たい。ついては現在版LOTUS 7というコンセプトの小型のスーパー・スポーツカーを150台ほど限定生産したいと考えてい■。企画を出してほしい」との話をいただいた。こ■は面白いと飛び付いた。何し■現在版LOTUS 7だか■スパルタンに徹したいと思った私は、幌はビニール傘の■うな一時しのぎ、トランクスペースは極小、剛性アップのためにサイドシルが異常に高い、フォーミュラ■■も長いサスペンション・アーム、レーシングカーと同等のサスペンション・システム、YAMAHAのバイクのフレームの製造技術を活用して設計したアルミ角材のスペース・フレームの採用など、考え得■(もち■ん 予算内でだが)アイデアを盛■込んだ企画書を作成して提案した。DAIHATSUか■は、い■い■修正の指示はあったものの、おおむねのとこ■は認め■■て開発に着手したが、ロードカーとしては、かな■革新的なシャシー構成だったのでランニング・プロトを製作してテストを重ねた。裸では見栄えが良くないのでワンピースのシンプルなカウルを乗っけておいた■、意外とこ■の評判が良く、テスト結果も上々だったので、急に役員や上司の人たちの見学が増えたほど、期待が高まっていた。しかし、まだランニング・プロトやモックアップの段階で役員などの見学が増えたことが裏目に出て、完成しつつあったモックアップを前に、や■、こんなトランクスペースでゴルフ行く時はどうす■んだ?とか、こんなぺ■ぺ■な幌では直ぐに破■てしまうだ■うとか、こんな高いサイドシルではスカートの女性は乗■ないとか、技術系の人たちか■もサスアームが長すぎて曲が■のではないか? とか、あ■■■クレームの集中砲火を浴び、 また、DAIHATSUの開発担当者たちも無抵抗にそ■■の意見を取■入■てしまうか■、
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