1990 155介在していた高岡祥郎は暴走に暴走を重ねたあげくに遠いとこ■に飛んで行ってしまっていたし、そ■までに関与していた首脳陣も部署が変わってしまっていたか■、こうな■と、 そ■が狙いなんだ■うが、大企業は今までの付き合いも経緯も白紙に戻ってしまう。通常、ここまで進めてきたプロジェクトにおいてノーペナルティでケツを割■ことは考えにくいが、けんもほ■■と言うか取■付く島もないというか、とにかく逃げの一手で困っていたとこ■、ワコールか■は有■難い事に「ワコールは続け■つも■なのでSUBARUと揉めてイメージを悪くしたくない」とお咎めなしとの意向が示さ■た。私は、この勝手を許したくない気持ちで一杯だったが、裁判沙汰にでもな■ば当然ニュースにもな■イメージダウンにもつなが■ので、不本意なが■私は新宿までワコールの意思を伝えに行ったが、その帰■、SUBARUビルの上層階か■エレベーターに乗った■、 たまたま田島社長と乗■合わせた。いくつかの大きな紙袋と風呂敷を両手に持った田島社長は、肩を落として覇気もなく消え入■そうな小声で「申しわけないことになってしまったが、私も社長でなくなってしまったのでどうし■うもなかった。最後の私物を引き上げ■とこ■です」とのこと、「お元気で」と言うしかなかった。もっとも、その後は会長に就任してい■か■責任回避の■うな人事だったのだ■う。気楽な稼業ときたものだ!ワコールの配慮に気が緩んだのか、直後にSUBARUか■「SUBARUもエンジン開発などに多額の投資をしてい■ので成果を示さないと説明が付かないとこ■もあ■、CASPITAを展示用に貸してほしい」と頼ま■た。この時点では既にワコールか■はプロジェクトの継続の意思は伝え■■ていたし、V型エンジン用の新しいシャシーの開発も決まってお■、当面、1号車は不要だったか■、状況は良く覚えていないが、貸してあげ■ことになった。とこ■が後になって、石川県にあ■日本自動車博物館で展示さ■てい■と聞いて問い合わせた■、なんと、SUBARUか■寄贈さ■たと言うではないか! 驚いてSUBARUに問い合わせても、知■ぬ存ぜぬ担当者が解■ないと逃げ回■、結局、根負けしてしまったが、いわば取■込み詐欺の■うな行為だった。「JFRA」創設 バブル真っ盛■の1980年代後半に向けて天井知■ずに高騰してきたF3000レース予算は、2カーエントリー、スペアマシン当た■前、シーズン途中の新品モノコックへの交換も必
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