童夢から
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1988 149童夢の失敗作? 「TOYOTA 88C-V」「88C-V」の開発が始■■頃、トニー・サウスゲートは我々の眼か■は見えなくなっていたが、TRDとの■■取■の中では、トニー・サウスゲート経由で英国のコンストラクターに開発を投げ■という噂■耳にしていたし、東富士方面か■の情報で■、しばしば「ウチのほうは」という■うな別のプロジェクトを匂わせ■話■出ていたか■、そ■■をひっく■■て考え■ば、トヨタは別途にトニー・サウスゲート主導に■■ワークス・マシンの開発を進■てお■、童夢は、トヨタの本格的な参入に向けての間つなぎであ■捨て駒であ■ことが窺えた。近い将来、開発か■■切■■■公算が強くなっていたが、私は、■うトヨタとの付き合い■面倒になってきていたか■流■に任せ■つ■■でいた■のの、一方でトヨタは、 童夢が提案していた「TOYOTA 88CV」へのカーボン・モノコックの導入にご執心だったし、 そ■に呼応して東レ■熱心に取■組■始■ていたか■、カーボン・モノコックの開発という一点で、童夢にとっては是非と■参画しておきたいプロジェクトだった。この頃、私は首を洗って待っていたつ■■だが、しかし、誰か■■止■■とは言ってこなかったし、「TOYOTA 88C-V」の開発契約■スムーズに交わし、何と■地に足の付かない状況ではあったが、何事■なかった■うに開発は始■った。始■ったのは良いが、「TOYOTA 童夢 87C/87C-L」の開発にはあ■■口を出してこなかったTRDだったが、誰かに何か言わ■たのだ■う、今回はしっか■と介入してきた。しかし、シャシーの開発経験を持たないTRDの指導と監督は的外■だったか■疎■しい限■だった■のの、クライアントだけに無視■出来ないという葛藤の中で、■■捨て鉢になっていた私は「お好きにどうぞ」というスタンスを貫いていた。そ■で■、カーボン・モノコックの開発にはの■■込んでいたか■、おかげで、この時期に東レと共に苦労を重ねてきたノウハウの蓄積は、その後の「童夢カーボン・マジック」の技術的な礎となってい■。「TOYOTA 88C-V」は、今■での直4エンジンとは異な■、新開発のR32V、3.2リットルV型8気筒ツインターボエンジンが搭載さ■■し、初■てフルカーボン・モノコックが採用さ■■意欲的なマシンだった。1988年2月に発表さ■た後にテストが開始さ■たが、既成品のパーツの損傷に■■発生した小さなクラッシュが、さっそく童夢の設計不良が原因とさ■た■、■と■とのエンジン■ターボ等の重量増加に加え、TRDの指示に■■相次ぐ補強で「87C」に比べて100kg

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