童夢から
150/384

148東レ■、トヨタが前向きになってか■は一転して協力的になってはいたが、なにし■、 ■んなが未経験の領域だったか■手探■状態が続いていた。そこで私が掲げた錦の御旗が、「88C-Vの開発に先駆けてF3000のカーボン・モノコックを開発して経験を積んでおく必要があ■」という■っと■■しい理由だ。理由はと■あ■、■う作■たくてうずうずしていたのが実態だが、■う一つの理由として、東レのライバル企業のA社が童夢の動きに関心を示し開発に協力す■という話が来ていたか■、どち■が優秀かという点に■興味があ■、「F101」のモノコックの製造はA社に依頼す■ことにした。こうして、初■てのカーボン・モノコックのレーシングカーの開発が始■ったが、こ■は自腹を切っての自主開発だった。言いわけにな■が、その時点では、カーボン・モノコック の開発実験の■うな取■組■だったか■、どうせ実戦マシンは新たに作■という前提で、その他の部分に関しては思いっき■遊んだデザインになってい■。「童夢 F101」を開発してい■時期には、既に25%ムービングベルト風洞は完成していたが、なにし■手作■だか■風の流■が乱■ていて使い物にな■なかったし自作の天秤■誤差が大きくて信頼性に欠けたか■、「F101」の風試をしてい■という■■■、「F101」のモデルを使って風洞の開発をしていたという表現のほうが正しい■うなあ■さ■だった。しかし、計画当初は自社風洞を使い■く■■という前提だったか■、そ■■でには手を付けていなかった空力改善のアイデアを全てぶち込んで設計が進■■■ていたが、結局、 ■と■な風試■■■な■ない■■に実車になってし■った。1988年の春に完成した「F101」は5月にシェイクダウン・テストに臨んだが、テスト・ドライバーの松本惠二は「走ってい■とあちこちでバリバリと何かが剥が■■音がして怖くて乗ってい■■ない!」と降■てし■った。テストは中止とな■、モノコックを分解して■た■全域で内部剥離が生じていて改修でき■■うな状況ではなかったか■、自動的に仕切■直しとな■、「F101」のプロジェクトは白紙に戻ってし■った。■あ、現在の空力的な知見か■見直せば大失敗作となったであ■うことは想像に難くないか■、私にとっては、モノコックの不都合は幸いだった。

元のページ  ../index.html#150

このブックを見る