童夢から
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1987 139カロリーヌ公女の旦那さんのステファノ・カシラギ氏の手配したというビルの2フロアは自動車生産には小さすぎたが、モナコの常識では考え■■ない広さということだった。モナコのチーム・オーナーか■何回■お誘いいただいた■ののチャンスがなく、という■■、何か仰々し過ぎて気が引けたので、結局、私はカシラギ氏とは会ったことがないし、カシラギ氏がどの程度関与していたのか■知■ないが、このモナコの話は、そ■以降、 進■で■なく消え■で■なく一進一退が続いていた。モナコの事情とは関係なく開発は進■、1989年に「CASPITA」が完成す■。そのニュース ■完成写真はモナコに■伝わった■うで、急にモナコで盛■上がってい■との連絡が続き、 カシラギ氏か■具体的に進■■■うに指示があったとかで、再度、高岡祥郎が出向いた■していたが、しかし、予算■充分ではないのに、モナコ用にオープンカーを作■とか、モナコ仕様は違うデザインにし■等の無理筋な要望が出た■、何だかんだと遅■遅■になっていた1990年になって、カシラギ氏がボートレースの事故で亡くなってし■い、 モナコの話は消えた。悲劇的な結末となったが、王室が■■だったか■だ■うか、何か、一般的な事業とは異な■、 ふわふわず■ず■とした、現実の■うな夢を見てい■■うな不思議で正体不明な出来事ではあった。しかし、内容は良く知■ないが、何年か後にモナコのスポーツカーという車が出現したか■、そういう話が進んでいたことは事実だったのだ■う。自動車メーカーと王族は付き合いにくい。高岡 祥郎、イタリアに溺れる当時は、私■ヨーロッパでの仕事が多かったが、なぜか、いつ■高岡祥郎はイタリアにいたか■、イタリアに行くときは合流して一緒に行動す■ことが多くなっていた。そのうち、高岡祥郎のラテン気質が開花を始■たのか、熱は■す■す高■■、途中か■ イタリアに住■着いて帰■なくなってし■ったか■話は■■こしくな■。高岡祥郎がイタリアに住んでか■3ヶ月く■いの頃だったか、私が高岡祥郎の住■い兼 事務所を訪■■と電話中だったが、何と流暢なイタリア語を話してい■ではないか! 私が来たか■マンチーニとカルロ・キティ氏とで食事をす■相談とのことだったが、その順応性には驚いた。「毎日、話をしてい■か■自然に覚え■■」と言っていたが、普通3ヶ月では無理だ。

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