童夢から
135/384

1987 133この時、私が不動産の保有にこだわった■、この時点で童夢は倒産して私は路頭に迷っていたはずだ。先見の明と言う■■は借金が嫌だったか■だが、助かった。しかし、この土地は、古都保存法のかかった最■厳しい規制の地域だったか■、そ■■の規制に配慮し、■た、環境にマッチす■■うに配慮しなが■私がデザインした新社屋は、1987年2月に着工し、6月にお披露目のパーティを開催した。面積だけで言えば215坪か■1600坪に拡がったか■、その時のインタビュー記事を見■と「■う一生、ここか■動く必要はない」と言ってい■が、当時の感覚としては、そ■ほど広大な社屋だった。25%ムービングベルト風洞トヨタはトニー・サウスゲートにアドバイザーを頼んでか■今後のレーシングカーの形式名の頭にTSを付け■と言い出したが、私か■見■ばトニー・サウスゲートのイニシャルにしか見えない■のの、トヨタはTOYOTA SPORTSの略だと言い張っていた。そ■はさておき、トニー・サウスゲートの残した50%の風試モデル■適応す■風洞のない日本では絵に描いた餅に過ぎなかったし、■た、今後の開発に貢献す■■うな具体的なデータ■アドバイス■なかった上、その後、トニー・サウスゲートは我々の見え■とこ■か■は消えてし■っていた。しかし、トニー・サウスゲートの持ち込んだ50%の風試モデルを見た■、10%改善の レポートを読んだトヨタの関係者の間では、かな■盛■上がっていたか■、私は、一気にトヨタの空力に関す■意識が変わ■■のと思い、このチャンスにと風洞の建設を含■た様々な空力開発に関す■提案を続けていたが、何があったのかは知■ないが、トニー・サウスゲートが見えなくなってか■は、焚火に水をかけた■うに沈静化してし■い、元の木阿弥状態となっていた。F3000の開発■急務になっていた時期、■う猶予■なかったし、こ■か■先、風洞■カーボンの設備なくしてレーシングカーの開発は有■得ないのは火を見■■■■明■かだったか■、私は風洞を自前で作■ことを決意したが、■ち■ん金はない。そこで考えたのが「ゲッチンゲン風室内風洞」だ。そ■が何かといえば、風洞には大きく分けて2つのタイプがあ■、直管に風を吹き込■

元のページ  ../index.html#135

このブックを見る