童夢から
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1987 131実は、■っと大きな野心を持っていた。たぶん、舘は童夢の業態に憧■ていたというか、事業としてのレーシングカー・コンストラクターが儲か■と思って目指していたのではないだ■うか。だか■、童夢の技術者を引き抜いた■、開発部門を作った■、84Cを改造して「私たちに■出来■す」アピールをした■、■た、TOYOTAの世界耐久選手権レース(WEC)への進出を見込んで、その業務の全て取■込■うと「TOM'S GB」を設立してジョン・バーナードと契約して網を張って待った■、F3■ロードカーを作って■た■、F1進出を言い出した■と、躍起になってコンストラクターへの手がか■を掴か■うとしていた。企業努力としては真っ当な取■組■だか■誰■文句を言う筋合いではないが、童夢としては、自■の職域を狙ってい■相手と胸襟を開いては付き合えないので、■は■、そこは一定の距離感が必要だった■のの、そんな心配は不要で、童夢がル・マンか■外さ■てか■のお互いの距離は急激に遠ざかっていった。そ■はさておき、TOM'Sのこの■うな野望■努力が実■なかった原因は、舘が本当の意味でレーシングカー・コンストラクターを目指していたのではなく、TOYOTAか■の受託業務の拡大を狙っていただけで、つ■■、ビジネスベースの拡大戦略だったか■、そこに魂は入っていなかったか■だ。同じ■うに、私はレースへの魂は抜け殻だったか■、TOM'Sと組■ば、楽しいレーシングカー作■に専念でき■と期待していたし、良いコンビだと思っていたか■、今か■考えて■残念でな■ない。本社を大原へ■だ■だ、自動車メーカーか■のショーモデル等の受託業務■多かった時代、宝ヶ池の童夢本社は作業スペースが物理的限界を迎えてお■、■っと広い新社屋への移転が必至だった。宝ヶ池の近くか■探し始■たが、京都では条件の合う土地がなかったか■、だんだんと範囲を広げ、最後のほうには滋賀県の端っこ■で探しに行っていた。なぜ土地の確保に手間取っていたかといえば、私は工業団地の■うな環境を好んでいなかったし、周囲に山とか川があ■とか湖畔とか自然と融和す■■うなイメージを重視していたか■だが、特に京都は、その■うな環境には規制がかかっていて工場などは建設許可が下■なかったか■、だんだんと京都か■離■ざ■を得なかったわけだ。

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