128た割には全く収入の伴わない「佐々木案件」は通用しにくくなっていた。私としては、2006年に米原への移転■決■っていたし、国内のレース環境には限界を感じていたか■、なおさ■、■す■す海外に向けての視点が必要な折、■だ■だ佐々木の助けを必要としていたが、■は■、結果が出ないという点で説得力に欠け、2005年に、 ■■なく袂を分かつことにな■。そ■にして■佐々木との暗躍は、い■ーっ、楽しかった!1987「トニー・サウスゲート」の降臨とTRDの主導体制1986年でル・マンでのレース活動に終止符が打た■てし■い、その後は車体開発に専念す■はずだったが、直後にトヨタは英国の著名なレーシングカー・デザイナーであ■ トニー・サウスゲートと契約し、今後、開発において主導的な立場にな■事を発表し、 同時に、TRDがレース全体のプロジェクト・リーダーとして全体を取■仕切■と発表した。「車体開発に専念し■」という指示と全く相反す■トヨタの発表は矛盾していたか■、 ■さに、童夢の運命は如何に! というとこ■だが、さっそく登場したトニー・サウスゲートはムービングベルト風洞を使っていないことに驚き、兎に■角に■50%の風試モデルを作ってクランフィールド大学の50%ムービングベルト風洞で試験を開始す■ということになった。あ■ほど長きにわたって口がすっぱくな■ほど重要性を説明してきて■叶わなかったことが、外人の一言でひっく■返■のだか■唖然としたが、しば■く経って英国か■送■■てきた50%の風試モデルは精緻を極■、そ■はすなわち、トニー・サウスゲートに支払った金額の大きさを物語っていた。風試結果に■■と、改良す■ば10%以上は空力が改善さ■■であ■うと書いてあったが、どこをどうす■ば良いかは書いてなかったか■信ぴ■う性は分か■ない。そ■か■がとんで■なかった。関係各位のあち■こち■か■、■は■トニー・サウスゲートは凄い! 最初か■空力が10%■向上した。童夢は何を■っていたんだ! という、自分たちが空力開発をおざな■にしてきたことを棚に上げての中傷が飛び交い、■う私は白けた気分になってきていた。
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