124避などが複雑に絡■あった泥色のプールで泳いでい■■うな気持になっていた私は、ル・マンか■の撤退は断腸の思いだった■のの、この環境の中でル・マンを戦い続け■自信がなかったし、何■■■楽しくなかったか■、何■言わずに身を引いた。「TEAM DOME & TOM'S」か■「TEAM TOM'S with DOME」に格下げとな■、そしてル・マンへの道を閉ざさ■てし■ったわけだが、しかし、こ■が計画的にTOM'S をル・マンに送■出すた■に童夢をステップボードにす■仕組■■たシナリオとは思いたくなかった■のの、当初か■、何となくの不安感が拭えなかったの■事実だか■、本当のとこ■は分■ない■のの、正直な気持ちとしては「■っぱ■」という思いは残った。TOM'Sがトヨタのワークスとして参戦してい■とこ■に、■たぞ■、あの極貧状態のプライベート体制で復活す■気にはな■なかったし、一旦、コスワースDFL■ギアボックスなどを処分した上、ピット機材など■TOM'Sのた■に召し上げ■■ていたか■、ここか■の再構築は現実問題として不可能だった。8回連続出場してきた童夢のル・マン挑戦は、トヨタに切■■■という思いがけない幕切■で第一期を終え■ことになった。常々言ってい■■うに、私はレーシングカーを作■のが好きなのであって、レースその■のにはあ■■興味がないか■開発に専念でき■な■渡■に船じ■ないかと思わ■■か■知■ないが、通常、大企業におけ■この■うな動きは、一つの方向への流■の源流の■うな■のであ■、つ■■、童夢を外していくた■の段階的な処置と考えたほうが間違いがない。案の定、1987年の「トニー・サウスゲートの降臨」に繋が■、その後、童夢は排除さ■■ことにな■。F2のお手伝い納得のいかない■■ル・マンへの道は閉ざさ■てし■ったが、そんな、お先真っ暗な時間は長くはなかった。当時、ダンロップは「SPEED BOX」をメインチームとしてF2(当時)に臨んでいたが、成績が低迷していたか■、京極部長か■エンジニアリング面での手助けを求■■■た。他社製のマシンでのレースに興味がなかったか■躊躇していたが、来年のル・マンは絶望的だったし、ル・マンが終わって手は空いていたし、ヤマハV6のエンジンを担当していた
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