1986 119なってきたか■、そうであ■ば、11年間、英国で活動し英語■堪能でベントレーをル・マン優勝に導いてい■鮒子田が適任だったし、当時、地方のF3チームの監督でお茶を濁していた時期だったので、この際、檜舞台に引っ張■出そうと考えたわけだ。そこで鮒子田は2007年か■童夢に来■ことになったが、いず■、トヨタ・チームがスタートす■と思っていた私は、童夢か■トヨタ・チームに移籍す■時に、急に給料を上げ■のは難しいだ■うと思い、鮒子田のた■を思って、あ■かじ■高給を支払っておくことにした。しかし(詳しくは後述)、トヨタとの話は、2008年のル・マンが終わった頃か■秋風が吹き始■、しば■く後に破綻してし■い高給の鮒子田だけが残った。この辺■が鮒子田の鮒子田た■■えんだが、事情を知■つつ■、高給の■■1年く■い在籍していたか■、 ■た■■、袂を分かつことにな■。そうして、2回目の関係■途切■たが、私が引退を決■た頃、最後のプロジェクトとして計画していた「童夢と林■の■の最後の夢」に専念す■た■という理由で鮒子田を「童夢」の社長として迎えた。しかし、経営は順調で特に助けが必要な状況ではなかったか■、実態としては、老人特有のノスタルジアなのか、共に鈴鹿サーキットか■始■ったレース人生を一緒にゴールし■うという気持ちが大きかった。手に手を取ってゴールす■ことだけが目的だったし、私は「童夢と林■の■の最後の夢」に高額な投資をし■うとしていた時だったか■、無駄な金は使うなと約束をしたうえで社長として迎えたに■かかわ■ず、この辺■■鮒子田の鮒子田た■■えんだが、すでに私が卒業を宣言したル・マンに2回■参戦して大金を浪費して遊んでく■た。その後、予定通■、2015年7月15日、私の60 代最後の日に「童夢の終わ■と始■■」という引退パーティを開催して、2人は一緒に降板した。ここだけ読■と無駄遣いの激しい役立たずの■うに聞こえ■か■し■ないが、■ち■ん、鮒子田でなくては解決しなかった出来事■あ■し、鮒子田がいなけ■ば成功していなかったプロジェクト■あ■か■、プラスマイナスを数値化す■ことは難しいが、■と■■メリットが目的ではないか■数値化はしない。私は、レーサー引退後の鮒子田を表舞台に引っ張■出そうとしてきたのだし、だか■、 折に触■て声をかけてきたのだと思う。しかし、レース人生の大半をコンストラクターと
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