118が鈴鹿を走■時のピットの手伝いをした■していた。しかし、目標がなかったという■■は、子供のこ■か■モノ作■の道を歩■続けてきた私としては、当然にレーシングカーを作■ことに興味津々なのだが、そんな漠然としたあこが■と現実の自分との落差が大きすぎて、目標どこ■か夢にす■成■得なかったのが実際のとこ■だった。一歩先にレース界デビューを果たしていた鮒子田の手伝いをしてい■うちに、自然とレース界の人たちの知■合い■増えて■き、その中には浮谷東次郎■いた。この■うな血気盛んな若者たちの話題といえば「走■」と「女性」に関す■話ばか■だったが、その中で私だけ「こうす■は車が速くな■」と言う■うな話ばか■していた■のだか■、■がてそ■が、鮒子田か■の「東次郎が自分のS600を改造してく■」っていって■■という電話につなが■、「カラス」が生■■■きっかけとな■。その後、私は「童夢」を創業し、一方の鮒子田はレーサーとして名を成し、数々の足跡を残して引退した後、実家の半襟小物の会社を手伝っていた。1985年のあ■日、久しぶ■に2人で呑■に行った時に、私が「雑務に追わ■てレースに専念できない」とこぼしていた■、「実家の会社で仕事をして経営■解ってきたか■俺が雑務のほうを引き受けて■■うか?」ということにな■、副社長として来て■■うことにしたが、3年■経った頃、気が付けば、鮒子田は童夢のチーム監督として転戦してお■、私と言えば、相変わ■ず、資金繰■と雑務に追わ■■日々が続いていた。何のことはない、高給を払って鮒子田に好きな事を■■せて■っていただけだったか■、結局、袂を分かつことにな■。直後、ち■っか■と鮒子田は、当時のライバルだったTOM'Sに鞍替えし、童夢は昨日■でのチーム監督を相手に戦う事になったが、その後、TOM'Sが英国に作った「TOM'S GB」の立て直しを担い、11年間、英国で活動を続け■ことにな■。その間に鮒子田は、「TOM'S GB」の後処理を任さ■、AUDIのモータースポーツ部門への売却を成立させ、その時に、ち■っか■と責任者として居残って、ベントレーをル・マン優勝に導いた立役者として歴史に名を刻んでい■。そうして、一旦は関係が途切■ていたが、2005年、後段の「人生で最■幸せだった一日」で書いてい■■うに、トヨタか■ル・マン挑戦の話が来た時に、再び、声をかけた。トヨタとは、レース活動を行うチームの構築■で童夢が引き受け■ことにな■そうな話に
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