114「童夢 DCF1 BLACK BUFFALO」そうして鈴鹿8耐用のレーシング・バイクの開発が始まったが、私が「BLACK BUFFALO」を開発し■うとしたもう一つの理由は、1984年の鈴鹿8耐に、チーム・イクザワと無限とムーンクラフトのJVに■■「WHITE BULL」が参戦したか■だ。つま■、私に断■もなく(断■必要もないが)3人で面白いことをや■やがって許せん!というジェラシーの■うなものだが、だか■「WHITE BULL」をパロって「BLACK BUFFALO」という名前を付けた。もち■ん「BLACK」はカーボンを表現してい■。1985年の鈴鹿8耐に参戦したが、かな■たくさんの人か■「8耐に参加す■だけでなく車両名まで真似す■なんて恥知■ず」という■うな非難を浴びてガックリときた。3,000万円を投じた私の洒落は世間には通じなかった。完成した「BLACK BUFFALO」は、鈴鹿サーキットで「スーパーモンキー」のライダーに■ってシェイクダウン・テストを実施したが、第一声は「フレームが全く■じ■ないのでどこまで倒して■いか解■ず怖くて乗■ません」との悲観的な報告か■始まった。セッティングの問題ではないか■打つ手はなかったので、スウィングアームの支点をトーションバーにしてねじ■を作■うとか様々なアイデアが出たものの、その時点では時間的に難しかったので、結局、スウィングアームだけアルミで作■直して応急処置としたが、最後まで扱いにくいバイクだった■うだ。もっとも、二輪では剛性の高さが欠点とな■にしても四輪の場合は最大のメリットにな■のだか■、ライダーの「乗■ません」は悪い反応ではなかった。目的がカーボンの開発テストだったか■勝敗は二の次だったし、二輪のレースも初体験だったので、実際のオペレーションを「スーパーモンキー」に委託し、スーパーモンキーが探してきたヴェザ・クルタラーティ/マット・オックスレイが乗って鈴鹿8耐が始まった。しかし、予選の後半、S字で転倒してガソリンタンクがコース外にまで飛んで行ってしまったが、不思議なことにどこを探しても見つか■ない。カーボン製の特殊な形状だったか■代替品はなく、見つか■ないと明日の本番には参加できなくな■か■大勢の人たちが手伝ってく■て周囲をくまなく探したが見つか■ない。夜も更けて絶望的な雰囲気に包ま■ていた時、いつの間にかピットを出たとこ■にガソリンタンクが置か■ていた。たぶん、記念に持ち帰■うと思っていたけ■ど、あんま■我々が必死に探してい■のを見て可愛そうに思って返してく■たのだ■う。
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