童夢から
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112村上商会の努力も特筆すべきだが、童夢にとっても魔法と言っても過言ではないほどに過酷な車造■となったが、喜んだのは高岡祥郎をはじめとす■SUBARUの関係者たちで、おかげでその後、SUBARUとは長い付き合いが始まった。しかし、そ■で勢いづいたのか、高岡祥郎の暴走がますます加速力を増し、レーシング・エンジンの開発か■「CASPITA」の開発か■F1への挑戦まで、ドラッグスターの■うに突っ走ったが、アクセルを緩めなかったので、そのままコースか■外■てどこかに行ってしまった。詳しくは後述す■。コンセプトカーの開発との決別1981年頃か■自動車メーカーか■発注が来■■うになってきたモーターショー用モデルや試作車の開発業務は年を追うごとに拡大し、90年代の終わ■頃まで童夢の経済を支え■柱の1本となってく■た。おかげで8年間の長きにわた■第一期ル・マン挑戦が実現したが、仕事の内容としては、スタイリングの絡む■うな開発はそ■な■に楽しめ■ものの、その他のほとんどの仕事は、いわば実物大の模型作■に等しかったし、担当者同士が綿密に練■上げてきたコンセプトもデザインも、最後のほうにやってく■役員の一言で根底か■ひっく■返ってのや■直しがお約束だったか■、人の慣■とは恐■しいもので、あ■ほど狂喜乱舞していた自動車メーカーか■の受託業務も、既に興味を失い面倒な仕事になってきていた。もともと、レーシングカーを造■ための資金作■が目的なのだか■、金儲けと割■切■ば良いものを、こ■■の自動車メーカーか■の受託業務にも車造■の快楽を追求す■ものだか■、だんだん気持ちが離■ていって、2000年を超え■頃か■忙しさを理由に断■■うになっていた。 カーボンの時代カーボン・モノコックは、F1の世界では1980年頃か■研究が始まっていたし、1981年にはマクラーレンMP4やロータス88B等の実車が登場してい■。私は、失敗したものの20歳の時(1966年)にハニカムを使い発砲ウレタンを充填したFRPツインチューブ・モノコックの製作に挑戦していたか■、もち■ん、大いに興味を持って見ていたし何とかトライしてみたいと思っていたので、正確には覚えていないが、82~83年頃だ■うか、早くか■カーボン繊維の開発に着手して釣■竿やゴルフシャフトな

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