童夢から
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110SUBARUの「高岡 祥郎」SUBARUのラリードライバーだった高岡祥郎は、かねて■■顔見知■という間柄だったが、1985年の5月頃に、突然、会社にやってきた。そ■か■、長い長い高岡祥郎と私の珍道中が始ま■が、高岡祥郎の行動を抑えき■なかった私の責任は認め■ものの、高岡祥郎には、そ■以上の押しの強さというか相手の退路を断つ強引さを持っていて、私は引きず■■ていたと思ってい■が、高岡祥郎は私に踊■さ■ていたと言ってい■■うだか■、そ■は読者の判断に■だね■う。高岡祥郎の発想は突拍子もないことが多かったし、その行動はかな■強引だったが、確かに言え■ことは、全く私利私欲がなく本当に自動車が好きな人だったか■、人として見た場合、警戒心を抱くことも裏を読む必要もなかったし、話の中身の危うさを別にす■ば、ともかく、会って、会話をして、行動を共にしていて楽しい人だった。強引な依頼用件は、その年の10月に開催さ■■東京モーターショーに出品す■コンセプトカーを作ってほしいという話で、スポーツモデルというだけでベースもデザインも何もなく、しかも実走行でき■モデルという無理難題だったが、いず■にしても、その年は、童夢はたくさんのショーモデルの開発を受託していたので、にっちもさっちもいかない状態だったか■断■しかなかった。しかし、どの■うな社内的な事情があったのかは知■ないものの、とにかく、何が何でも作■なくちゃな■ないので何とかしてく■の一点張■で、何回もやってきては粘■に粘■■たか■相談に乗ってい■うちに、引くに引けなくなってしまっていた。そ■にしても、デザインや設計は何とかす■としても、童夢には実際の製作工数もスペースもなかったか■、その話にな■と行き詰って前に進まない。そんな時、高岡祥郎が急に、「そうだ! 東北にいいとこ■があった」と膝を打った。どうや■SUBARUのエアロパーツ などの外注先■しく、直ぐに見に行ってく■ということなので、引くに引けなくなっていた私は東北に出かけ■ことになった。一ノ関の村上商会は、主として限定車などのボディパーツを開発生産してい■会社だったが、ボディ全体の造形経験もなくシャシーの組立経験もなさそうだったか■、ここに図面を渡しても直ちにプロトタイプが完成す■という可能性は皆無だった。その判断を高岡祥

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