1985 109計画では、「童夢84C」の生産が終了してか■取■掛か■ことになっていたが、や■だした■止ま■ないのが童夢の常で、気が付いた■「童夢85C」は1985年の暖かくな■前に完成していたが、開幕戦の「インターナショナル鈴鹿500km」には間に合わず、84Cで出場、日本車として初優勝を飾ってい■。その後、童夢とTOM'Sのル・マン・バージョンとして「童夢85C-L」を製作し、事前テストを兼ねて全日本耐久選手権にも参加してい■。1985年 7回目のル・マン前述した■うに、私は寝■ときに妄想を巡■せなが■眠■に入■癖があ■が、ル・マンに参戦してか■の妄想は自動車メーカーのワークス・チームとしてル・マンを戦うというストーリー仕立てが多くなっていた。1985年のル・マンは、正に、そんな私の妄想が現実になってしまった■うなものだったし、トヨタか■は、童夢の経験が頼■だか■童夢が牽引役としてTOM'Sを引っ張ってほしいと言わ■ていたので、私はかな■入■込んでいた。今まで、レーシングカーは作■っぱなしで、ル・マンに来ても本戦がスタートした■ ワイナリー巡■に出掛けてしまう■うな私が、この年だけは違った。カーナビのない時代、 事前にフランスまで行って、シャルル・ド・ゴール空港のレンタカーのガレージを起点として、空港か■高速に入■とこ■でトリップをリセットし、そ■か■は、要所要所の写真を撮■距離を測■、ラリーのコマ図の■うな道案内を作■、またパリまで引き返して、 今度はモンパルナス駅か■の電車の切符の買い方と乗■方を写真入■で解説し、ホテルとレンタカーを効率的に使い回すための詳細な配分表などを作ってTOM’Sとトヨタのスタッフに配布したが、あま■の完璧な内容に、しば■くは話のネタになっていたく■いだった。とにかく、何十人ものル・マン初体験の人たちを引き連■て、私はあちこちを走■回っていた記憶しかないが、夜にな■と何人もの人がホテルに辿■着けなかった■、チェックインでトラブった■、予約したレストランを間違った■、パスをなくして入■ないとか、 書きだした■キリのないほどのトラブルの処理に翻弄さ■ていた。レースは、童夢はリタイアしたもののTOM'Sは12位でフィニッシュした。ちなみに、この年のチーム名は「TEAM DOME&TOM'S」だった。
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