童夢から
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104ただ、ムービングベルト風洞を持たない我々には、まだグラウンド・エフェクトに関して解■ない事が多すぎたか■、英国の大学のムービングベルト風洞を借■て研究す■ことを提案していたものの予算が下■なかった。トヨタは立派な実車風洞を持っていたか■、 そ■を使わせてく■■ということだったが、固定地面版とムービングベルトの違いやフルスケールでの空力開発の効率の悪さなどは理解していなかったし、こ■か■先も、かな■の期間、空力開発には関心を示さなかった。しかし、この時期の空力無視の代償は大きく、そ■は、童夢がトヨタのレーシングカー開発に関与してい■全期間にわたって足を引っ張■続けていた。1984年 6度目のル・マン見様見真似のグラウンド・エフェクト・マシン「童夢RC-83」を小改造した「童夢RC-83i」のル・マン・デビューはあっけなく終わった。まだベンチュリー・システムに関しては何も解っていない状況だったか■、自信のない私は、ベンチュリーとフラットの2種類のフロア・パネルを用意してル・マンに臨んだ。 案の定、比べてみた■フラットボトムのほうが速かったので、ル・マンではフラットボトム で走ってい■。振■返ってみ■ば、フロントの空気の導入量は小さいまま、リアのアップスィープは極端に跳ね上がっていたか■、見様見真似は丸見えだった。この年は、ニューマシンということもあって、私も少々、入■込んでいたか■、C.クラフトには悪かったが、ドライバーをエイエ・エルグとスタンリー・ディケンズに変えた。スタンリーは、エイエの紹介で前年度か■日本国内のレースにも参加していたか■力量は分かっていた。とこ■が予選で大クラッシュを演じてしまい、ホスピタリティのモニターで見■限■、 「童夢 RC-83i」は、ま■で丸めたテッシュペーパーの■うになってしまっていたか■、 見ていた人のほとんどが最悪の事態を想定していたとこ■、隙間か■スタンリーが這い出てきたものだか■大歓声が巻き起こった。翌日のル・マンの新聞には、外観の割にコックピットは変形してお■ず、スタンリーは 童夢の安全設計のおかげで助かったと好意的な記事が掲載さ■ていた。たまたまだが。こうして「童夢RC-83i」の本戦参加は不可能となったが、AUTOBACSがスポンサーに付いていたか■申しわけないので、クリスが売却した「童夢RC-82i」を買ってエントリー

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