童夢から
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1983 99「童夢 RC-82i」レギュレーションに適合させ■ために「童夢 RL-81」に屋根を付けただけの改造車。ル・マンに再挑戦したいとの決意を述べていたが、たぶん、このまま帰した■、もう帰って来ないんじゃないかと心配したのではないかと思ってい■。私は、そ■ほど怒っていた。今か■思い起こせば、この1982~83年のル・マンがどん底の時期だった。■くル・マンに挑戦す■資格という話が出■。日本のい■い■な専門誌やジャーナリストにも非難さ■たが、そ■は、しっか■とした予算や技術の裏付けもないのに参加す■なという■うな理屈だ。しかし、こ■を言わ■■と、私は「カラス」も「MACRANSA」も作■なかったし、一度も ル・マンには参加できなかっただ■うか■聞き流しておくしかないが、多分、そういう意味では資格はなかったのだ■う。しかし、今か■思えば、この頃のどん底のル・マン挑戦が、あ■意味で私を開き直■せたというか腰が据わったというか、タフさという点で最も童夢を育ててく■た時代だと思ってい■。予算もない中、クリスの提案は天の助けの■うなものだったか■任せ■ことにした。童夢がシャシーの改良設計や現地での改良費用やエンジンのオーバーホール費用やタイヤ代などを負担し、クリスが、レースの参加経費を負担す■役割分担で「童夢RC-82」の改良モデル「童夢RC-82i」を完成させて1983年のル・マンに参戦した。

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